CTOが語る、カオナビが目指す「新しい働き方」にあったエンジニア組織とは?

導入利用企業数約1,900社※1、5年連続シェアNo1を誇る※2タレントマネジメントシステム「カオナビ」を提供する株式会社カオナビ。本日は、2020年9月に同社初のCTOに就任した松下 雅和氏へ、これまでのキャリアやカオナビCTOへ就任に至った経緯、CTOとしての夢についてお話を伺いました。

※1:2020年9月末時点 ※2:ITR「ITR Market View:人事・人材管理市場2020」人材管理市場:ベンダー別売上金額シェア(2015~2019年度予測)

松下 雅和|株式会社カオナビ CTO

早稲田大学社会科学部を卒業後、SIer2社を経て株式会社サイバーエージェントに入社。ゲームやコミュニティサービスの開発に携わる。その後、株式会社トランスリミットにて海外向けのアプリゲーム開発にCTOとして従事。累計数千万ダウンロードにもなるゲームの基盤を支えてきた。2020年2月に株式会社カオナビに入社し、様々なプロジェクトの開発を支援してきた。また、個人的な活動として、「開発効率をUPする Git逆引き入門」や「Slack入門 [ChatOpsによるチーム開発の効率化]」 などの書籍を執筆。その他、技術情報誌や技術サイトへの寄稿やセミナーでの登壇なども多数。

株式会社カオナビについて

株式会社カオナビが提供するタレントマネジメントシステム「カオナビ」
まずはじめに、御社の事業内容を教えて下さい。

株式会社カオナビは、社員の個性・才能を発掘し、戦略人事を加速させるタレントマネジメントシステム『カオナビ』を提供しています。社員の顔や名前、経験、評価、スキル、才能などの人材情報を可視化することで、最適な人材配置や抜擢といった戦略的人材マネジメントの実現を支援しています。

会計士の道を断念――将来を模索していた大学時代、インターネットに熱中

ここからは、松下さんのキャリアについて伺います。最初に、インターネットやパソコンへ興味を持ったきっかけを教えて下さい。

小学4~5年生の頃、父の仕事の関係でLAへ行くことになりました。当時、私の家にはパソコンがなかったため、友達の家に遊びに行ってはパソコンを使って遊んでいました。そのため、当時からパソコン自体には興味があったように思います。

日本に帰国後は、商業系の高校へ進学し、授業の中で初めてプログラミング言語(basic)に触れました。しかし、当時は会計や簿記を中心に学んでいたため、将来プログラミングをやっていくとは思っていなかった、というのが正直なところです。

しかし、周りには高校時代に日商簿記1級、大学で公認会計士に受かってしまうような優秀な同級生が沢山いて、次第に彼らと同じ土俵で戦うのは厳しいなと思うようになりました。そのため、大学の進路ではゆっくり別の道を模索していこうと社会科学部を選択しました。

大学生になると、色々な人とチャットしたり、自分のホームページを作成したり、掲示板を作るためにCGIを学んだりと、自然とパソコンと向き合う時間が長くなりました。これらの技術は、トライ&エラーを繰り返しながら独学で勉強をして、分からないところはネット上で出来た友達に聞いたりしていましたね。

ネット上の友人からは「お前そんなことも分からないのか」という言い方をされることもあり、負けず嫌いな私は、「いつか、見返したい」という気持ちで、自宅でサーバを立てたり、パソコンショップで働いたりしながら、技術や知識を磨いていました(笑)

SEから社会人生活をスタート。開発スキル向上を求めて転職を決意

新卒で都築電気へ入社されていますが、当時はどのような軸で就活を行ったのでしょうか?

当時インターネットが流行っていて、その仕組みを整えるネットワークエンジニアに興味があったため、「ネットワークに強い会社」を軸に、就職活動をしました。そして、無事、都築電機から内定をいただいたので入社を決めました。

都築電気はいかがでしたか?

都築電気は、ネットワークエンジニアとSEが半々ずついたのですが、最初の研修では、皆一緒にプログラミングやCisco技術者認定資格の勉強をします。研修を通して、ネットワークエンジニアよりも、開発をしていた方が面白いと思ったため、SEへ方向転換しました。

ここでは、SEとして、パッケージ製品の開発や受託開発に近い現場で様々な経験を積みましたが、一番は、技術力のある素晴らしい先輩に出会えたことが大きかったですね。いまでも「その先輩だったらどう考えるだろう?」と思いながら仕事をすることがあります。

充実した日々を送っていたかと思いますが、何故、転職する道を選んだのでしょうか?

20代後半になり、同世代の方がデブサミなどの大きなカンファレンスに登壇したり、技術書を執筆されているのを見る機会が増えました。同世代がこんなにも活躍している中で、自分がそうなれないのは何故だろう、ともやもやしながら日々を過ごすようになり、自分のキャリアを見つめ直すようになりました。

SEの業務は、設計の割合が高いのですが、開発力がないと本当にその設計が最適だったのか分かりません。そのため、開発力を身に付けて、システムの全体感を掴めるようになりたいと思い、技術力の高い開発会社として知られていた株式会社オープンストリームへ転職することにしました。

SIerやサイバーエージェントで開発力向上。チームリーダーやスクラムマスターも経験

オープンストリームはいかがでしたか?

私が配属された部署は、まさにアーキテクト集団というようなグループでした。初めは技術の話についていけませんでしたが、彼らと対等に会話ができるようになりたいと思い、楽しみながらも必死に勉強しました。正直、アーキテクトとしての動き方が一番得意な領域になったのは、そのグループへ配属されたおかげだと思います(笑)

また、Oracleの正式リリース前のβ版のプロダクトの導入など、まだ世の中に知見がないプロダクトをどう使いこなしていくか、という新規領域に近い現場で開発を積めたことも良い経験になりました。

その後、サイバーエージェントへ転職した理由を教えて下さい。

4年半程在籍したオープンストリームでは、SESのような形で色々な現場を渡り歩いていたので、自社でサービスを持つとはどのようなことなのか、いまいち分かりませんでした。

一旦、会社を辞めて、将来を考えようと2ヶ月の有給期間の間に色々な勉強会に参加していたところ、偶然にも以前業務委託で一緒に働いていたサイバーエージェントの社員の方に出会い、お誘いいただきました。自社でサービスを持つ経験も積めますし、面白そうだという思いもあったので入社を決意しました。

SESからの転職を希望している方は「SESからの転職先おすすめ8選【エンジニア転職したい人必見】」をご覧ください。

サイバーエージェントは、いかがでしたか?

初めは、サイバーエージェントアメリカの方と一緒に働くという、日本にいながらアメリカの仕事をする特殊な部署に配属されたんです。そこでAWSやMongoDBなど、当時としてはとがった技術を採用していた部署に1年ほど在籍しました。

その後ゲームやコミュニティサービスの開発に携わるようになりました。基本的には、プロジェクトリーダーとして、開発をしながらエンジニアをまとめる仕事が多かったです。後半は、アジャイル開発のスクラムマスターの役割を担っていました。

もともとサイバーエージェントは、「スピード感」を重要視していたので、厳密ではなくともアジャイル的な考え方で開発を行っていました。世の中的にもアジャイル開発が普及し始めていたので、スクラムマスター研修を受講し、スクラムマスターの資格を取得しました。今では、スクラムマスターの資格は、メジャーになり、頻繁に研修が開催されていますが、当時は年に数回開催される程度でした。そのため、研修で学んだことを社内向けに展開するためスクラム勉強会を開催しました。自主参加でしたが、50~60人のエンジニアが参加してくれました。

CTOとしてスタートアップへジョイン。海外向けサービスは苦労も

2014年10月、創業まもない株式会社トランスリミットへジョインした経緯を教えて下さい。

当時、1から全てを立ち上げる経験ができるスタートアップがとても気になっていたんです。加えてサイバーエージェントでは、ゲーム系の開発が多かったので、もっと違う領域へチャレンジしたいと、転職活動を視野に入れていました。

そんな折、サイバーエージェントアメリカの仕事を一緒にしていたチームメンバーと久々に集まることになったんです。そこで起業をした後輩(トランスリミット 代表)から、メンバーが足りないから是非来て欲しいと誘われました。話を聞くと、ゲーム系の開発ではありましたが、教育的な観点を大事にしていて、且つ海外向けに展開するサービスだったので、これは面白そうだと思いジョインすることにしました。

海外向けサービスの難しさはどんなところにありますか?システム的に工夫している点があれば教えて下さい。

全世界の人がきちんと理解できるモノでなければいけないので、開発の段階から前提条件として、”言語に依存しない”ことを心がけていました。ただ途中から複雑なゲームも作るようになり、ある程度言語による説明も必要になったため、自分たちで翻訳システムを作り、様々な言語のネイティブスピーカーの知人たちに連絡を取り、アルバイトで翻訳を手伝ってもらいました。

クライアント側(ネイティブアプリ)は、クオリティを担保しつつ、一方のサーバー側は、落ちてもゲームがある程度遊べる状態を維持するようなアーキテクチャーを考えて作りました。例えば、対戦もので相手がネットワーク障害で落ちたとしても、CPUが置き換わって戦ってくれたり、相手がリアルタイム観戦できるストラテジーゲームで通信ができなくなってしまっても、通信が復旧したタイミングでオフライン中のデータを送信し、相手にフィードバックするような仕組みを作ったりしました。完璧は求めないけれど、最悪なケースに陥らないように開発することが大切でしたね。

また、スタートアップにおいては人材のリソースが潤沢ではないので、運用効率や運用コスト面も考慮していました。

このように難しさは色々とありましたが、幸運にも、我々がリリースした1~3作目がAppleとGoogleにフィーチャーされたので、自分たちのやり方が海外に通用するんだと、自信を持って開発に臨めたのは大きかったです。

トランスリミットには約6年程在籍していましたが、松下さんの役割はどう変化していきましたか?

エンジニアは10数名程度の規模になりましたが、入社から4~5年は、「みんなが手を付けていないところを全部やる」という球拾い的な役割でした。インフラをやることもあれば、アーキテクチャを構築したり、クライアントのライブラリを作ることもあったりと、その時に応じてチームが上手く機能するために必要なことをやっていきました。

最後の1年は、少し役割が変わって、プロダクトオーナーとして企画の仕事を経験しました。当時、海外のゲームアプリ市場では、「ハイパーカジュアルゲーム」が約8割と主流で、シンプルですぐに楽しめるゲームを作り、ユーザーが広告を10~20回見てくれたらビジネスとして成り立つような仕組みでした。会社として、その市場に乗り込むと決まったので、私はプロダクトオーナーとして、マーケットインという考え方で、ランキングを見ながら市場調査をして開発をしていきました。どれだけシンプルでキャッチーなものを短期間で作り上げられるかという勝負なので、7人チームで10ヶ月に6本程開発しましたね。

プロダクトオーナーの仕事はいかがでしたか?

正直、やりがいや楽しさより、辛さの方が多かったです(笑)ゲームの世界は何が当たるか当たらないか分からない中、短期間で多くリリースしてみましたが、爆発的にヒットするようなモノを生み出せませんでした。ゲーム系のプロダクトオーナーは、私には務まらないな、と思いました(苦笑)

カオナビへ入社。同社初のCTOポジションを設置するまで

2020年2月、カオナビへ入社されていますが、その経緯を教えて下さい。入社時点では、どのようなポジションでオファーされたのでしょうか?

グローバル展開のサービスは、そもそもピークタイムが存在しないので、障害が起きたら夜中でも対応しなければなりません。40歳を超え、家庭とのバランスを考えた時に、もっと家庭と両立可能な働き方をしたいと思ったのが、転職のきっかけです。

加えて、これまでエンジニアとして、技術的な面はある程度経験を積んできたので、次のステップとして、もう少し経営的なところに挑戦したいと思い、経営層に近く、会社の方向性や判断を実感できるような会社を探し始めたところ、カオナビに出会いました。

カオナビは組織の成長に伴い、社長や副社長の思いが現場に伝わりにくいという課題を抱えていて、現場と経営陣の間に立つようなポジションの人を求めていました。最初の段階では、CTOという肩書きはありませんでしたが、自分のやりたい事とマッチしているなと思い入社を決めました。

カオナビへ入社以降、どのようなことに取り組みましたか?

現場で様々な問題点が出ていたので、そこをどれだけ改善していけるかが最初のミッションでした。経営陣と話をしながら、今の会社の課題は何なのか、エンジニア組織が今抱えている問題は何なのかを考え、実際に色々なプロジェクトに入りながら、設計を見直したり、アドバイスするようなプロジェクト支援的な動きをしていました。

今年9月に初のCTOポジションを設置され、初代CTOに就任されていますが、CTOを設置した背景を教えて下さい。

もともと、会社全体としてボトムアップの文化が根付いていました。そのため、現場のエンジニアから新しい技術の選定や、全体の方向性の改善案が上がってくる良い面もありました。ですが、エンジニアが増加していくにつれて、ボトムアップな組織を継続するには限界が見え始めました。ボトムアップだけでは、個別最適はできても、全体最適にはなかなか繋がりません。

例えば、マイクロサービスという文脈がまさにそうで、やりたいし必要だけれども、オーナーシップを持って全体を進める人がいないという現状がありました。これをやり遂げるためには、トップダウンで決めていかないと難しいと判断し、経営陣と相談した結果、CTOに就任して全体をみていくことになりました。

入社半年でCTOという立場になりましたが、元々いるメンバーからどう信頼を得ていきましたか?

CTOへ就任するまでの半年間、様々なチームのプロジェクト支援をしており、関わったことのあるメンバーとはコミュニケーションが取れていたので、ある程度信頼関係は築けていました。一方で、介入していないプロジェクトのメンバーとは、話をする機会がほとんどなかったのでこのままではいけないと思っていました。そのため、全員と1on1を行い、「何故私が今この立場にいて、マイクロサービス化を推進しようとしているのか、何を実現したいのか」を説明しました。

カオナビCTOが目指す理想の組織とは

松下さんの現在の業務内容を教えて下さい。

直近は、採用活動とマイクロサービス化を考えるための既存システムの調査などがメインです。現段階で優先順位が高いのはマイクロサービス化ですが、何かあれば臨機応変に対応していくというようなスタンスを取っており、これまで関与したプロジェクトについての相談も常に受けています。

“カオナビで働く人”の特徴は何かありますか?

一番大きいのはロジカルに考える人が多いという点ではないでしょうか。例えば、何か起こった時、何故これが起こっているのか、きちんと仕組み立てて改善策を導くということを会社全体としてやっていることが良いところだなと思います。今までだと、「取り敢えず時間がないから、これでやろう!」と力技でどうにかすることも多かったので(笑)

採用業務もやられていますが、採用/評価で気を付けていることはありますか?

採用は、「カルチャー」と「スキル」の2つの面から見ています。「カルチャー」に関しては、先ほども述べたように、会社として仕組化や仮説検証などを行っているので、物事に対してロジカルに考えられない人は合わないだろうなと思っています。また、「スキル」に関しては、即戦力の場合はカオナビの利用技術にフィットしているかどうかを見ています。

また、評価については、マーケットバリューをとても大事にしています。市場の中で、その人の価値はどれくらいあるのかを主軸に、会社のマインドにあった行動ができているか、チームとして事業へ貢献できているか、自分の目指すキャリアに対しての成長度合いなど、トータルで判断しています。

最後に、これからCTOとして松下さんがカオナビで成し遂げたいことや個人としての夢があれば教えて下さい!

カオナビでの直近の目標は、マイクロサービス化を推進して今のサービスが継続的に成長できる組織体制を作っていくことです。

カオナビには、”相互選択関係”という考え方がありますが、これは、社員と会社がお互いに選び選ばれる関係でやっていこうという意味で、分かり易くいうと、「会社は社員に成長機会を提供し、個人も自分たちの能力を発揮して会社の市場価値を高めていく」ということです。

したがって、カオナビでは、個人の能力を最大化してもらうため、働く場所や時間も社員が選択できますし、兼業も推奨されています。この働き方が徐々に普及していくと、例えば、メンバーの入れ替わりやカムバックが当たり前の世界になると思います。そうなった時、エンジニア組織もその動きに対応出来るような組織体制に整えていかなければいけません。そこで先ほどのマイクロサービス化の話に繋がってきますが、なるべくドメイン知識がないと開発できないという状態を減らし、ある程度の領域で区切ってキャッチアップがしやすい状況を作っていき、それぞれの能力を発揮できる、そんな開発体制を作っていくことが真の目的です。

また、個人の夢としては、社会貢献をしていきたいなと思っています。私自身、エンジニアをやっているので、未来ある子供たちにプログラミングを教えるなどの活動をしていきたいですね。

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