世界を代表するテックカンパニーを目指す!世界66ヶ国で導入されるシステムの3代目CTOに迫る

尾藤正人氏(BTO氏)|Repro株式会社 執行役員CTO

大学在学中にVine Linux SPARC版を開発。卒業後、IPA未踏ユースソフトウェアに採択。(Zynga Japan)ウノウ株式会社の初期メンバーとして参画し、CTOを4年半務める。2011年に株式会社スングーラ代表取締役社長就任。2015年からUUUM株式会社のCTOとして未上場からIPOまで牽引。退任後は個人で技術顧問、エンジェル投資、未踏ジュニアPMなどに従事。2021年6月よりRepro株式会社の執行役員CTOに就任。

Repro株式会社について

まずはじめに、御社の事業内容を教えて下さい。

弊社は、カスタマーエンゲージメントプラットフォーム「Repro(リプロ)」を展開しています。Reproは、顧客データを活用し、 メールやプッシュ通知、Webやアプリ内ポップアップなどのチャネルを横断した付加価値の高いコミュニケーションを実現しています。

当初から海外を視野に入れ、日本語と英語の両方の言語展開しており、現在、世界66カ国7,300以上の国と地域へ導入されています。

高専の時にインターネットと出会い、コンピューターの虜に。

はじめに、尾藤さんがインターネットやプログラミングへ興味を持ったきっかけを教えて下さい。

僕は、出身地である愛媛県の高専に通っていました。当時の僕は、パソコン通信とインターネットの違いが分からず、「高専がインターネットに接続された」という話を聞いて、「高専でパソコン通信出来るんだ」と勘違いをするぐらいのレベルでした(笑)実際はパソコン通信と全然違うので、びっくりしましたね。

高専の先生に、「インターネットとは、こういうものである」、「サーバーは、UNIXというOSで運用されている」など色々教わり、さらに「これを使ってみなよ」と、FreeBSD(98)のフロッピーデスクの束をいただきました。実際に、パソコンにFreeBSD(98)を入れて触ってみたら、すごく面白くて。それからコンピューターにどんどんハマっていきました。

その後、2000年に広島市立大情報工学部へ編入し、そのまま大学院に進みました。高専は、電子制御工学科という学科で、所謂、電子回路を専門として学んでいたので、コンピューター系ではなかったんです。パソコンにハマり、もっとコンピューターの勉強をしたいと思いが強くなったので編入しました。大学では、コンピューターのハードウェアからソフトウェアまで、一通り学びました。また、大学在学中に、Vine Linux SPARC版の開発もしていました。

卒業後のキャリアを教えて下さい。

大学院卒業後は、HDE(現HENNGE)に入社しました。その時、未踏ユースに応募してソフトウェアに採択されましたね。それから、会社を辞めて、サンフランシスコへ語学留学へ行きました。

そこで出会ったのが、山田進太郎さん(現メルカリ 代表取締役CEO)です。彼は、開発や技術にしか興味がなかった当時の僕に、インターネットビジネスの世界やベンチャーの成り立ちなどを教えてくれました。とても面白かったですね。

だから帰国後は、彼が立ち上げた企業であるウノウへ入社を決めました。社員としても、エンジニアとしても第1号だったんじゃないでしょうか。

当時は、CTOとしてどのような業務へ携わっていましたか?

ウノウには4年半程在籍しており、その間、社員は40~50人位まで増えました。

当時の僕は、CTOという肩書きでしたが、主な仕事は開発で、マネジメントはほとんどしていませんでした。所謂、テックリードに近い役割でしたね。

起業やUUUMのCTOで、アポ対応やマネジメントを経験

2011年、株式会社スングーラ代表取締役社長に就任されていますが、起業に至った背景を教えて下さい。

自分の力でやってみたいと思いが強くなったため、会社を立ち上げました。主に、ゲームやゲームエンジンの開発を行っていました。

当時、「ソクゲー」というゲームエンジンを作ってリリースしたら、なんと沢山のお問い合わせが来たんです。私1人で会社を運営してたため、エンジニアなのに、1日5件くらいアポ対応していましたね(笑)

そんな生活を約1年続ける中で、売上が飛躍的に伸びることもなく、社員を雇えるほどのレベルにも持っていけず、これは上手くいかないなと思い、事業を辞めることにしました。

その後、UUUMへ入社するまでの経緯を教えて下さい。

幾つかの企業で、技術顧問を務めていた時に出会ったジャフコの方から、「出資先で困っている会社がある」と紹介された企業がUUUMでした。2ヶ月ほど技術顧問として入り、その後、正式にCTOのオファーをいただいたので入社しました。

当時エンジニアは3人いましたが、残ったのは1人だけでしたので、実質、エンジニアの組織作りは、ほぼ0→1でした。

ここでは、CTOとして主にどのようなことをされましたか?

当時の僕のミッションは、新規プロダクトの開発とエンジニアの組織作りをすることでした。

特に、採用には力を入れ、最終的には30名規模の組織になりました。幸運にも、入社後、早い段階で、テクニカルリーダーを採用することができたので、プロダクト開発はその方へ一任し、僕は採用や組織作りや経営技術職関連の仕事へ集中できました。なのでUUUMでは、僕は一切開発はしていないんです。

実質初めてのマネジメントだったと思うのですが、どのように向き合いましたか?

もともと、マネジメントに対しては、特別、嫌という感情もなければ、やりたいという気持ちもありませんでした。ただ、僕自身がやらなければという使命感がありました。

また、本格的にマネジメントするのは初めてでしたが、勉強したというよりかは、世の中の情報を取り入れながら、実践に落とし込むということを繰り返して、自分の中で体系化していきました。良い本も沢山ありますが、体系化が難しい分野でもありますからね。

その後、Reproへ転職した理由を教えて下さい。

UUUMは、テクノロジー企業ではないため、社内システムの運用が中心でした。「もっと、売上に関わるようなシステムに携わりたい」と思っていた矢先、CTO協会の忘年会で、Reproの共同創業者であり初代CTOの三木さんから「Reproで手伝って下さい!」と言われました。話を聞いていくうちに、これはなかなかやりがいがありそうだぞと思い、技術顧問として手伝うことにしました。

Reproの3代目CTOへ就任。ミッションは、拡大したエンジニア組織の統率

現在の尾藤さんのCTOとしてのミッションは何でしょうか?

僕のReproでのミッションは、「エンジニアの組織作りをすること」です。

前任のCTO橋立(Joker氏)がReproへジョインした時は、10名程度の組織だったので、急成長を支えるシステムを作れるような高い技術力が求められていました。

一方で、現在のReproのエンジニア組織は、約40名まで増えました。各個人の能力は高く、それぞれが行っている個々の施策自体は、悪いものではありませんでした。しかし、組織全体の方向性を示す統率者が不在であるが故に、各々が改善を進めようとした結果、成果に結びつかないという事象が起きていました。

この状況を改善するためには、組織全体の意思決定を行う技術系の経営者が必要で、今、僕にCTOとしてその役割が求められています。

Reproに入り、最初に取り組んだことを教えて下さい。

システムの開発で、ちょうど大規模なところに取り掛かるところでしたが、上手く回っていないという状況でした。まず、情報収集をしないと何も判断できないため、エンジニアリングマネージャーや現場のエンジニア数名と1on1を実施し、ヒアリングしました。

ある程度状況を把握したら、この状況を改善していくためには具体的にどうすべきかという提案をまとめて、代表の平田とすり合わせを行いました。

上手く回っていない要因には、大きく、下記の他部署と連携と開発側自身の問題の2つありました。

他部署との連携

CMOが立てた施策を開発に落とし込めないという状況でした。プロダクトマーケティングチームもリーダー不在の体制だったため、その役割を一部開発チームへ移管し、コミュニケーションが円滑に進むように調整しました。

開発チームの組織体制の整備

Reproの組織規模が拡大したことでスクラムがうまく機能しなくなってきました。そこで、Large-Scale Scrum(以下、LeSS)という開発手法を導入しようとしましたが、全体的な組織課題を解決する動きがない中で、LeSSを導入していたため、結局上手くいきませんでした。そのため、今後は、一旦LeSSを辞めて、組織課題を解決する動きができるように組織を再構築していく予定です。

最後に、これからReproで尾藤さんが成し遂げたい夢を教えて下さい。

Reproは、大量のデータ処理するため一日に億単位のイベントを受け取らなければいけません。そのため、技術的には面白いシステムだと思いますし、エンジニアが成長できる環境も整ってます

今後は、エンジニアの組織力を高めて、Reproを世界屈指のテクノロジーカンパニーに押し上げていきたいと思っていますので、興味を持っていただいた方がいれば、是非、ご応募下さい!

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