「食でつながる暮らしをつくる」をミッションに、累計ユーザー数が10万人を突破する食コミュニティ「キッチハイク」を運営し、急成長を続ける株式会社キッチハイク。今回は、実家のお寺を飛び出し、インターネットの世界に飛び込んだユニークな経歴の持ち主、キッチハイク共同代表/CTO藤崎氏へお話を伺いました。
筑波大学在学中、仏門に入るために大学を休学し京都へ渡る。1年間の修練後、西本願寺で住職の資格を取得。その後、世界中の人々が無償で1つのものを創り上げていくオープンソースコミュニティに仏教の世界観との共通点を見い出し、エンジニアとして活動をはじめる。筑波大学大学院システム情報工学研究科修了後、野村総合研究所でエンジニアとして5年間勤務。2013年に山本雅也と共同でキッチハイクを創業。MongoDBコミュニティを主催し、gihyo.jpに技術記事を連載。
キッチハイクについて
弊社は、食に感度の高いユーザー10万人があつまる「キッチハイク」を運営しています。新型コロナの影響が出る前までは、行きたい飲食店へ皆で集まりご飯を食べるという形式でサービスを展開しておりましたが、新型コロナ以降は、集団で集まれない状況になりました。
そこで、昨年3月に「#勝手に応援」プロジェクトの名のもと、飲食店に先払いをして応援チケットを購入できるサービスをローンチしました。さらに6月下旬には、これまでの提携飲食店とECサービスをスタートさせ、自宅にいながらお店の味を楽しめるようになりました。
このエリアフリー、タイムフリーで豊かな食卓時間を過ごせることにヒントを得て、12月からはこれまでオフラインで開催されていた地方自治体提携イベントのオンライン化した「ふるさと食体験」を正式にリリースしました。Webサイトやアプリから予約することで、自宅にいながら「地域の食材を、現地の方と一緒に楽しめる交流体験」を楽しむことができます。
キッチハイクは、食べることを通じて、人に出会い、文化を知り、地域とつながること。由来やつくり手の想いを尊び、味わうその瞬間に歓喜すること。そして、食べることで社会がより豊かになっていく、そんな世界を描いています。
ルーツと選択の間を行き来した学生時代
物心ついたとき、実家がお寺だという事実に対してあまり良い印象を持っていなかったことを覚えています。いま思うと自分でも子供だなと思うのですが、自分の将来が非常に限定的だなと思うようになり、一般家庭と違うことを受け入れられず高校から家を出ました。昨今、「多様性」がうたわれているように、私は、自分のルーツがお寺であることに添うことなく、そのルーツを持ちながらも、自分の人生は自分の選択でコントロールしたいという意志がありました。ルーツと選択のどちらかが極端になることなく、ルーツと選択の比重がバランスしている中でキャリア形成ができると良いのではないかと。
幼少期は、それこそ、お寺に生まれたら住職になるのが当たり前の考え方が色濃かったのですが、いわば、これは多様性という観点から見ると「肌の色がこうだから、こう」という画一性のある考え方に似ていると思うんですよね。生まれについては自分の意思で変えることができないことなので。
僕自身は、自分で選択をした高校生活を送りたく、理数系を学ぶために実家を離れて遠くの高校へ進学しました。自分の選択によって未来が開けたと感じた嬉しさを強く記憶しています。その後、社会課題を数理的アプローチで解決するという手法に興味を惹かれ、筑波大学の社会工学類へ進学します。社会経済を専攻し、行動経済学やゲーム理論を学びました。
高校、大学と自分の選択を大事にしてきたのですが、在学途中に1年間だけ、ルーツである仏教に戻る選択をしたんです。これから先の人生をどのように生きていくのかを考えた時に、選択を重視すればするほど、いつの間にかルーツを考えていました。いま考えると、自分が選択するということに対して、極端になりすぎていたのだと思います。そこで自分のルーツである仏教を学ぶという選択をすることにし、1年間大学を休学して仏教を学ぶために京都の西本願寺に行きました。
1年間ではとうてい学びきれなかったのですが、2つ思ったことがあります。1つは宗教という概念が今の時代にこそ必要だということ。もう1つは、社会との接点、つまりインターフェースが悪いと思いました。古くから積み上がってきているものなので、システムが硬直化していてレガシーコードで手が出せない。修正箇所の影響範囲も予測することが困難となっている。であれば、概念はそのままでモダンなインターフェースにできないかと思いました。そこで、大学院に戻って、今度はシステム情報工学研究科で学んでエンジニアになりました。
筑波大学大学院の研究室でLinuxを使い始めたのがきっかけで、自然とオープンソースソフトウェア ( 以下、OSS ) のコミュニティに参加するようになりました。当時、茨城に住んでいましたが、渋谷にあったGoogleオフィスに行って勉強会に参加していましたね。
インターネットやOSSに接することで感じたのは、人が集まって交流が生まれる「コミュニティ」が存在しているということ。宗教とインターネットの間に「コミュニティ」という共通点を意識するようになりました。今の時代はインターネットやWebで、世の中をよりよくできるんじゃないかと思いました。社会に必要なのは、現代的なお寺なんじゃないかと。これがその後に始まるキッチハイクにつながっていきます。
今後もOSSについて学んでいきたい、仕事にしたいという思いがあったので、就職活動では「OSS 事業」というキーワードで探していたのを記憶しています。調べていくと、野村総合研究所の寺田雄一さんという人物がOSSで新規事業を展開しているという記事を見つけました。それまで野村総合研究所は視野に入っていなかったのですが、こういう部署があるんだと知りエントリーしました。面接では、「OSS推進室(新規事業部)の寺田さんのところで働きたい」と志願しましたね。新規事業部だったのでもともと新卒が配属される予定はなかったそうですが、「そんなに希望するなら」ということで運よくその部署へ入ることができました。
大企業からスタートアップ起業へ。共同創業者と出会うまで
OSSの活動が仕事として認められた事が一番印象深いです。当初、OSS活動はプライベートな時間を使って趣味の範囲内でおこなっていましたが、半年ほど勉強会の主催やイベントでの登壇を続けていたら、OSS活動が事業の売上に貢献できる活動として上司から認められ、仕事として取り組めるようになりました。
ターニングポイントになったのが、メンターの起業です。新人の自分に社会人の基礎と技術を教えてくれた師匠が、2年目の終わりに突然起業して退職されました。その時、自分の中にもともとあった起業志向に火がついて、上司である寺田さんに相談をしにいきました。寺田さんからは「もう少し残って一緒にやってくれないか」と言われました。自分が会社に入るきっかけを与えてくれた人のためにもう少しやってみようと思い、1年会社に残った後に起業することにしました。1年後、寺田さんとの約束を果たして円満に退職することができました。
お互いに自分の考えややりたいことをオープンにしていたので、友人から「似たようなことを言っている人がいるよ」と山本を紹介してもらいました。初めて会った日、山本は企画書のようなパワーポイントを印刷して持ってきたのですが、資料はそっちのけで社会に対しての課題意識や世界平和について話したのを覚えています。最適化とか時短とかではなく、とにかくどうすれば人類が平和になるかを話しました。また課題に対しての解決アプローチもなんとなく似ていたんです。インターネットが普及し最適化しすぎた社会はすごくディストピアだよね、という話をして、どうやったらそこを変えることができるか、もっと人と人とが交流できる社会を作れるかを考えた先に辿りついたのが「食」でした。
山本は、内田樹先生の文化人類学本などをもとに、僕はお寺で過ごした幼少期の原体験から、多くの人が集まるその中心には必ず「食」があったなと思いました。そして、食を起点に交流するサービスを作ろうと決まりました。結果、会ったその場で一緒に起業することを決めました。
もしもこの記事を読んでいる方の中で、起業を考えていて仲間探しをしている方がいたら、「自分の考えややりたいことを人に言ったり、ブログに書いたりしてオープンにしておくと、後からいいことがあるよ」と伝えたいですね。
楽しさへのこだわり
創業当時は土日中心に色々な方に手伝ってもらっていました。僕等も当時は専業ではなく、日中の業務後に疲れた体でキッチハイクを進めていたので、楽しくやることは大切でした。起業の準備はかなり地味な作業なんですが、出会いがあって、日中は仕事をやりながらもキッチハイクを朝までやる泥臭さの中、深夜のテンションで笑いながら楽しくやってました。その名残もあり、今でも“楽しくやること”にはこだわっています。キッチハイクのサービス自体でも「楽しかった」と言われるのが一番嬉しいですね。
楽しくやるためには、「全員が当事者であること」が一番大事だと思います。山本がバーニングマン※に参加した時の経験が、今のキッチハイクの文化の礎になっています。バーニングマンは、1週間砂漠の中で生活するのですが、お金を使ってはいけないというルールがあります。そこで暮らしていくには、自分が何か価値を提供していかなければいけません。つまり、自分が何かしら当事者にならなければ生きていけないのです。僕自身も大学時代、ジャズバンドを組み、セッションという文化の中で全員が演奏者かつ全員が演奏を聞くオーディエンスというカルチャーで楽しさを体感していたので、ゲストではなく当事者でいることは大事だと思っています。
※バーニングマン…アメリカ合衆国で開催される大規模なイベント。何もない塩類平原(en)に街を作り上げ、新たに出会った隣人たちと共同生活を営み、そこで自分を表現しながら生き抜き一週間後、すべてを無に還す。
キッチハイクのオリジナリティを大切にしながら、山本と自分、そして執行役員メンバーで骨組みを固めています。新型コロナの時にリリースした「#勝手に応援 プロジェクト」もそうでしたが、スタートアップのスピード感を武器にして、可能な限り早く世の中に価値を届けたいと思っています。世の中に必要とされている仕組みを出していく会社でありたいです。一方で、チームの納得感も大事にしていて、何回もMTGを重ねる企画もあります。緩急をつけていますね。
サービスへの共感を重視した採用戦略
弊社はプログラミング経験ゼロの未経験者を採用するという方針に1年目から切り替えました。というのも、2010年代前半、エンジニアの価値がとても上がってしまい採用しにくくなってしまいました。そのうえ、僕たちが提供しているサービスは、ボタンを押したらご飯が来る時代に、自らご飯を食べにいくために集まるという逆説的ともいえるサービスなので、エンジニアの興味はどうしても低くなってしまって。
そのため、採用戦略としてテクニカル部分ではなく、サービスに共感してくれていて、「プログラミングまだやったことないです。プログラミングを覚えてどうしても世の中にサービスを広げたいんです。」というマインドを持っている人を採用し始めました。0から成長してもらうのは大変ではありますが、ここ数年で何名かはリーダークラスのエンジニアになってくれたりと徐々に実績が出始めています。
昨年2020年は、大型の新機能実装があったので、リリースに向けてコードをたくさん書いていました。9割が開発でした。
それは違いますね。キッチハイクが成長するために一番やるべきことをやりたいです。したがって、たとえ自分自身がコードを書く機会がなくなったとしても、キッチハイクが世に広まるなら、僕はそのほうが嬉しいです。
もっともぐもぐ、ずっとわくわく
去年から続いている新型コロナの影響が一番大きかったです。キッチハイクはそれまで食卓で集まって食と交流を楽しむサービスを提供していたので、サービス形態の変更を余儀なくされました。ただ、へこむというよりむしろ出番だなと思いました。みんなが大変な時だからこそ、動ける自分が助けたいという思いが強くなるんです。東日本大震災の時もそうでした。なんとかしたいという思いから、Twitterで安否確認ができるWebサービスを無我夢中で作っていたら、地震発生から数時間後にリリースすることができました。当時は、身近な人達の安否確認くらいしか貢献できなかったのですが、今回の新型コロナでは、影響を受けている飲食店を応援するため「新型コロナウイルス対策 #勝手に応援 プロジェクト」を立ち上げ1,000万円以上のお金が集めて実際に飲食店に振り込みができたのはすごく嬉しかったです。
3つあります。
1つ目は、テクノロジーによって食生活が短期的に歪みつつあるので、それを中長期的な視点で解消していきたいと思っています。これはキッチハイクがこれまで取り組んできたことだと思っていて、今後もその誘導役になっていきたいです。
2つ目は、みんなで食べるの延長線上に交流の起点を作りたく、それがキッチハイクでありたいと思っています。今、皆さん困っていることがあったらインターネットで検索しますが、2~300年前は、その役割をお寺が担っていました。困った時に立ち寄る場所、困ってない時でもふらっと立ち寄れる場所だったわけです。そこで多くの人が新しい扉を開くきっかけに出会えたのではないでしょうか。僕はキッチハイクで、何かのきっかけが生まれ続けてくれたら嬉しいと思っています。
最後の3つ目は、「もっともぐもぐ、ずっとわくわく」すること。これはキッチハイクの哲学になっている言葉です。私たちは、社会は自分たちが食べるものでできていると考えています。おいしいものをおいしく食べて、世の中をどんどんよくしていくこと、それがキッチハイクでやり遂げたいことです。