2度のマネジメント失敗経験から学んだ「チーム作りにおいて大切なこと」

本日は、今CMで話題の入札情報速報サービス「NJSS(エヌジェス)」を運営する株式会社うるる(以下、うるる)の NJSS事業部 開発課へ伺いました!

株式会社うるる NJSS事業部 開発課 課長 萩原氏 プロフィール

萩原 北斗(はぎわら・ほくと)|株式会社うるる NJSS事業部 開発課 課長

2012年10月、未経験歓迎インターンとして株式会社うるるでプログラミングを始める。2013年4月同社へ新卒社員として入社。シュフティ事業部のエンジニアとして主にサーバーサイド言語を扱いながら、iOSアプリの開発も担当。
2014年8月、オフショア開発の現場マネジメント担当としてベトナム・ホーチミンに駐在。最大12名の開発メンバーを持ち、シュフティ、NJSSの業務を担当。2016年4月、日本に帰国。CGS事業部のPLとして複数のサービスを担当した後、同年7月、開発部 部長代理として横串組織である開発チームのマネジメントへ従事。
2018年7月、組織編制により、シュフティ事業部開発チームリーダーとしてシュフティのサービスに再ジョイン。エンジニア業務をしながら、入社1年目の新卒エンジニアの育成責任者を担当。2019年4月、NJSS事業部開発課の課長に就任し、システムのフルリニューアルを主導している。

うるるについて

Q.うるるの事業内容を教えて下さい。

うるるは、主に3つの事業に分かれています。
1つ目は、ビジネスプロセスアウトソーシングを通じて、お客様のビジネスの効率化・合理化を支援するBPO事業です。

2つ目は、仕事を発注したい人(クライアント)と仕事を受注したい人(ワーカー)をマッチングするクラウドソーシング「シュフティ」を運営するクラウドソーシング事業です。
仕事は、ライティングや事務作業、データ入力業務などの比較的簡単な内容が多く流通しており、現在約40万人超(2019年3月時点)のワーカーが登録しています。

3つ目は、私が所属する「NJSS事業部」を統括しているCGS事業(Crowd Generated Service)です。ここでは、クラウドソーシング事業部のワーカーのリソースを活用し、新しい事業を作り運営していくというのが主な事業内容です。

Q.萩原さんが所属するNJSS事業部は、どのようなサービスを提供していますか?

「NJSS(エヌジェス)」という、市場規模20兆円以上の全国の官公庁・自治体・外郭団体、全国約7600の機関の入札情報を一括検索・管理出来る業務支援サービスを提供しています。情報はクラウド事業部のワーカーが目視・手作業で収集を行っているので、プログラムのみでは取得できない情報も網羅されていることが最大の特徴です。

プログラミング未経験~うるるに入社するまで

Q.プログラミングを始めたきっかけは何でしたか?

一番最初のきっかけは、大学の授業でHTMLを使ってサイト制作をしたことだと思います。その時、ただ文字(コード)を書いているだけなのに、形(サイト)になっているというところに面白みを感じました。

また当時、Facebookを題材にした映画「ソーシャル・ネットワーク」が流行っていたので、あのわくわくするような世界観をプログラミングを勉強すればできるんだという事を知って、楽しそうだから飛び込んでみようと思いましたね。
そのタイミングで、うるるの未経験歓迎のインターン求人を発見し、半年間、インターンとして、プログラミングを勉強しました。

Q.インターンでは、どうようなことをしましたか?

最初は、本当に勉強だけでした。「基礎からのPHP」という本を見ながら、掲示板作成のコードを写経して、「動いた!動かない。なんだこれは?」という風にやっていました。

その後は、「インターン生だけでインターンブログを作ってみよう!」という課題が与えられたので、皆で作成しました。システム自体は完成したのですが、ブログに書くコンテンツもなかったのでお蔵入りになってしまいましたけど(笑)
インターンの後半は、シェフティのサービスを手伝わせてもらいました。

Q.それからうるるへ入社していますが、決め手は何だったのですか?

一番の決め手は、“挑戦したいと思っている人を応援してくれる人がいる”という点です。私が、未経験でインターンに入った時も、インターンをやっている中でもそうだったのですが、こんなことやりたいなと思って話しをしていたら、社員みんな応援してくれるということを感じて、ここで仕事をしたいと思いましたね。

入社2年で、海外のオフショア開発チームのマネジメントも経験。そこには苦労も……

Q.入社して最初のお仕事は何でしたか?

クラウドサービス事業の「シュフティ」の開発メンバーとしてジョインしました。このサービスの中でiOSアプリを作ることになり、その開発をやっていました。
最初の数か月は、キャッチアップが大変でした。「このソースコード、なんて書いてあるんだ?」という解読からやりましたね。

Q.その後、ベトナムのオフショア開発事業へ自ら希望して行ったそうですが、もともとマネジメントへ興味が高かったのですか?

ベトナムへ行った時は、マネジメントしなければならないという感覚はなく、向こうのオフショアメンバーと一緒に色々言い合いながら実装できるという心積もりで行ったんですよ。けれど、現地の責任者は私しかいないという状況で、結果マネジメントを経験することになりました。

Q.海外のメンバーとのコミュニケーションに問題はなかったですか?

問題なかったです。日常的に発生する実装の小さな問題は、英語でコミュニケーションがとれていました。また、細かい仕様の部分は、向こうのオフショアのメンバーの中に、翻訳・通訳をするコミュニケーターを雇っていたので、その方に入って貰っていました。

Q.2年弱で駐在したベトナムから、日本に戻ることになった背景を教えて下さい。

「オフショア開発は失敗して撤退した。」という結論になっています。現地から撤退するので、日本に帰ってくるしかないという状況になり、日本側で、次のポジションを用意してくれたという感じです。

Q.オフショア開発の難しかった点はありましたか?

ベトナムの開発メンバーと開発していた時、日本にいるメンバーから「何で出来ないの?」とか「何でもっと早く実装できないの?」など要望が飛んできており、上手くいっていないなというのは実感していました。

ベトナムの開発メンバーは、協力的で「私たちは、何が問題を知りたい。」、「一緒に解決したい。」と言ってくれていたんですね。しかし、ベトナム側には、話ができない内容もあるので、そこの部分に関して相談相手がいなかったのは辛かったです。

定期的に弊社社員は、出張で、日本から現場へ来てくれましたが、やはり日本に戻ると感覚にずれが生じて、100%同じような感覚ではいられなかったです。
なのでこの出来事は、すごく落ち込みましたし、トラウマにもなっています。(笑)

Q.今でもトラウマに感じますか?

今は笑って話せているくらいなので、大丈夫かと思います。(笑)
会社で、リーダーシップ研修を実施しているのですが、先日行った研修時に、自分の経験を棚卸をしました。ベトナム時代に出来なかったことができるようになっているかとか、本当に全部失敗だったかなど……。
すると、「今は、あの時より上手くできてるぞ!」と思うこともあったので、だんだんトラウマは解消されているなと思っています。

日本帰国後、ぶち当たった2つ目のマネジメントの壁

Q.日本に帰国してからの、業務内容を教えて下さい。

日本に帰国してから約3ヶ月間、CGS事業部のPLとして、複数のサービスを担当した後、開発チームが結成され、部長代理としてマネジメントを担当することになりました。いわゆる、会社全体はマトリックス型の組織でしたが、エンジニアは横串組織として存在する形でした。当時の開発チームにはエンジニアが20名程度所属していました。

丁度、会社が上場するタイミングだったので、当時の私の仕事は、事務処理などに追われていたという状況でした。それ以外は、メンバーのケアや評価も行っていました。

Q.メンバーの評価をどう付けていましたか?

弊社は、全職種同じ評価制度で、コンピテンシー評価というものを取り入れています。コンピテンシーの中に、問題解決のコンピテンシー、対人関係のコンピテンシー、テクニカルスキルのコンピテンシーみたいに分かれていて、それぞれの項目ごとに評価していくような形です。

Q.今もこの横串の組織体制は継続されていますか?

今は違います。現在は、開発チームは解体されて、事業部ごとにエンジニアが配属されることになりました。

Q.開発チームを解体した理由は何ですか?

マネジメントを上手くできる人間がそのエンジニア組織にいなかったというのが一番大きなところです。(ベトナム時代に続いて)トラウマ第2弾だなと思っています。(笑)

Q.今振り返って、反省すべきところはありますか?

当時、マネジメントの仕事で大事なところの優先順位をはき違えていたなと思っています。チームを作るために、一番重要なことをやっていくべきだったなと思いました。

例えば、チームとしての価値観みたいなものをすり合わせたり、目指したい目標みたいなのを作っていったりとかやっていけば、チームのメンバーは、そこに向かって走っていける状態を作れると思います。

頭の中では、「作った方がいいんだよな。」と思いつつも、事務的な手続きの話が来たり、目の前にある課題の相談に乗っていたりすると、つい後回しになってしまっていたので。

新卒エンジニア育成担当に就任。その指導方法とは?

Q.開発チーム解体後の業務内容を教えて下さい。

シュフティ事業部開発チームリーダーとしてエンジニア業務に携わる傍ら、新卒入社1年目のエンジニア育成も担当しました。

Q.新卒のエンジニア育成は、どのような進め方をしていましたか?

自身が行ったインターンとは若干異なり、最初は、プログラミング研修を外部のオンラインサービスを使用してやりました。その後は、いわゆるOJTのような形で、「こんなことできるようになって欲しい。」という期待を明文化しておきました。

Q.新卒メンバーの対応で気を付けている点は何ですか?

新卒で入ってきたメンバーは、現時点の仕事が、いわゆるエンジニアの成長としての方向性があっているのかとか、不安に思ったりすると思うんですよ。その場合は「今任せている仕事だけだと全然足りないよ。」というの伝えます。

例えば、WEBで調べるとエンジニアのロードマップが出てきますよね。それを活用しながら、例えば「フロントエンジニアとして成長していくんだったら、こういう技術を触ってみるべき、こういうことが出来るようになっていくべき。」など、当てはめ、現状と対比させながら「方向性は間違っていないけれどまだ足りないよ。」という風に話をします。

Q.それぞれのキャリアに合わせて任せる仕事内容を変えていますか?

いいえ。変えていません。というのも、WEBエンジニアに必要なスキルや知識をまず広くつけていくべきだと考えているので、最初に任せる仕事には差をつけていなかったです。当時、新卒は4名いましたが、納得しきれなくて辞めているという状況は起きていないので、一定の納得はしてもらえていると思います。

NJSSでは、森山氏と二人三脚で組織作り――フルリニューアルに挑む

Q.現在はどのような部署で働いていますか?

2019年4月から、会社の主力事業である「NJSS」にジョインし、現在は森山と2人でマネジメントを行っています。

森山はマネジメント経験豊富な方なので、「これやった方が良いですよ。」とか、自分が過去にやるべきだったけどやれなかったことを「これやりましょう!」と提案してくれます。もし森山が入社してくれなかったら、今この部署へ異動してチーム作りをすることはなかったと思います。お互いに相談している感じですよね?

--森山氏:はい。“相棒”と言ってくれています。

Q.どのようにチーム作りをしていますか?

NJSSのシステムのフルリニューアルが決定したため、最初に人員増強が不可欠になりました。そのため、採用活動を積極的に行い、約半年でエンジニアは6名⇒17名(2019年9月末時点)まで増やしました。

増員の結果、中途入社・部署異動・業務委託メンバーの新規参画と、エンジニア歴の浅いメンバーの人数が急増している状況がある一方で複数のプロジェクトが走り始めている混沌とした状況になりました。

そのため、4月のキックオフの時に、「チームの共通指針が大切だ!」という認識が高まり、以前の開発チームでは作るとこができなかったチームの行動指針を作ることに取り組むことにしました。

また、行動指針の作成の際には、全員で作っていくという、一緒に上位概念を決めていくやり方を採ったので、より強い一体感を作り出すことにつながり、チームビルディングにも良い影響を与えていると感じています。
最後の表現は私がブラッシュアップさせたものの、そこに至るまでは森山が主導してボールを持って進めてくれたので、非常に感謝しています。

その他、森山主導で様々なチーム作り施策が進んでおり、過去にチーム作りに失敗体験があった私自身としては非常に頼もしく、かつ勉強をさせてもらいながらチーム作りに臨んでいます。
今後も彼やチームメンバーと一緒に良いチームづくりを進めていけることを楽しみにしています。

▼NJSSの行動指針※「N-Dev Spirits」(NJSS Development team Spiritsの略)

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