SNS公式アカウントのフォロワー数は国内外で延べ3830万人(5月末時点)に達する日本最大級の女性向け動画メディア「C CHANNEL」を運営するC Channel株式会社。今回は、開発メンバーらの推薦でCTOへ就任するなどメンバーからの信頼も厚い執行役員CTO開発部長 小野 邦智氏(Tonny Xu、以下Tonny氏)へお話を伺いました。
東南大学卒業。NECの中国子会社に2年勤務した後、2007年に日本語が喋れないまま単身日本へ。 2008年2月からiOS開発に携わり始め、VOYAGE GROUP、楽天などを経た後にフリーランスエンジニアへ転身。 SmartNews, Frilに参加した後にGugrit Inc. を設立。EC事業へ参入したが1年で撤退。その後、C Channelにジョイン。2019年1月同社CTOに就任。
C Channelについて
弊社は、日本最大級の女性向け動画メディア「C CHANNEL(シーチャンネル)」、ママ向け動画メディア「mamatas(ママタス)」、インフルエンサーによるマーケティング支援サービス「Lemon Square」を運営しています。また、関連会社のmysta株式会社では次世代のタレントを応援するエンタメ動画アプリ「mysta(マイスタ)」を運営しています。「C CHANNEL」が主軸ではありますが、昨年、「mysta」で『PRODUCE 101 JAPAN』のオーディションを行い、大きな注目を集めました。またメディア事業以外でもEC事業やインフルエンサー事業も展開し、今年5月には東京プロマーケットに上場するなど成長を続けています。
日本語が話せないまま、単身日本へ渡る
私はもともと浙江省杭州市出身で、小学校はチベットで過ごしました。この地域は、国の支援金でコンピューター教室が開かれており、1987年、Apple IIに触れたことが最初にコンピュータに興味を持ったきっかけでした。先生の元で九九表を印刷できてそれを初めて見た時、感動したことを未だに覚えています。
その後は、理系の道へ進み大学では物理学を専攻しました。しかし、大学1年の時、私よりも優秀な人達が沢山いるのを目の当たりにし、物理学者にはなれないことを悟りました。そこで「今後どういう道に進もうか」と考えた時、ずっとコンピューターが好きだったのでプログラミングの方へシフトすることに決めました。当時、途中から専攻を変えることが出来なかったため学位はそのまま物理学で取り、プログラミングは独学で勉強しました。もともと高校生の頃からプログラミングをやっていましたが、キャリアを意識して勉強をしたのはこの頃からですね。
大学卒業後は、もともと欧米系の会社に行く予定だったため、当時は将来日本と関わりを持つとは微塵も思っていませんでした。けれども、友人の会社がdocomoの下請けの会社で、その縁で入社することになり、日本と接点ができました。
その後、NECの中国子会社へ転職しました。当時、まだ日本と中国の収入の格差は大きかったため、2007年9月単身で日本へ渡りました。
VOYAGEGROUPでの失敗から、技術→ビジネス志向へ価値観が変わった
最初の8ヶ月は、建設機器の小松製作所(コマツ)の子会社で派遣社員として働いていました。現場で知り合った日本人はとても優しくて、その方に色々な日本語や文化を教わりました。そんな折、日本でiOSが発売になったため、彼と一緒にiOSアプリ開発をしようと決めて、彼が会社を作りその会社へ転職しました。それから、iOSアプリ開発を始めたのですが、1年ほどで終了することになりました。
終了になってしまった要因はいくつかあります。1つが、当時iPhoneがまだ流行っていなかったこと。2つがニッチなマーケットだったことです。当時のアプリというと、ゲームなどエンタメ系のものが多かったのですが、私たちは2人ともゲームがあまり好きではなかったため、日本語と中国語が勉強できる教育系のアプリを出したんです。けれど、ユーザーはそのような真面目なアプリに慣れていなかったため、受け入れられませんでした。色々とコンテンツを作っても売上が立たず、結果、派遣の仕事をしながら合間を縫って開発をするという生活になりました。
このタイミングで妻も中国から日本へ来ることになったので、このままでは2人の生活を支えていけないなと思い、就職することを決め就職先を探していた時にVOYAGE GROUPに出会いました。
VOYAGE GROUP(現在:CARTA HOLDINGS)社長の宇佐美さんは、とても手厚いサポートをしてくれる方でした。QLifeという病院のアプリを作った時は、最初の1週間で20万DLされ、「スマホの時代がやってくるね」とアプリ開発向けのgenesixという子会社を立ち上げました。そのため私もgenesixに移り、スマホ向けのアプリ事業に携わっていました。
そこで「5年以内に100万人が使うようなサービスにする」という目標を立てたのですが、結果は達成できず大変悔しい思いをしました。ビジネス的な観点からみると、当時お金や人材が足りていなかったわけではないですが、ビジネスの方向性やプロダクト作り、マーケティングなどトータルで何かが足りていなかったんだと思います。
もともとエンジニアだったので、技術を深堀りをしていくというキャリアが目標だったのですが、当時の技術の腕だけ磨いてもヒットできなかったという経験から、我々の商品がヒットしなかった一番の理由はどこにあるのだろうと考えるようになりました。そして、ビジネスが成功するには技術は必要条件ですが、十分条件ではない。エンジニアリングができれば、世界を変えていけるという根拠の無い自信がありましたがビジネスの成功にビジネススキルも必要条件だと悟り、自身が足りていなかったプロダクトの知識や設計に挑戦しようと思いました。
3年半程、VOYAGE GROUPに在籍していましたが、当時一緒に事業をやろうと考えていた友人が楽天にいたので、楽天に入った方が良いと思い楽天へ入社しました。もともとエンジニアとして面接に入ったのですが、プロダクトマネージャー(楽天ではPdM、以下PdM)の方がふさわしいのではないかという話になり、PdMで採用されました。
確かにPdMのポジションでは、プロダクトマネジメント経験者を採用する傾向があります。ただ、私の強みとしてはエンジニアの中ではプロダクトの設計やプランニングが得意でしたし、一方で普通のプロダクトマネージャーよりも技術を分かっているので、エンジニアチームとも確実にコミュニケーションしやすいと認識されたのがきっかけだと思います。
当時は、色々とネットの記事も読みましたが、特にアメリカのプロダクトマネージャーの記事を沢山読みました。徐々にグロースハッカーのコンセプトが流行り始めたところだったので、グロースするには何が必要、プロダクトを作ってどうやってグロースしていくかなどの知識を得ていました。
また、当時の楽天は、ユーザーが何を求めているのか、そのために何を計測するか仮説を立てて改善を積み上げていくというプロセスがメインでした。なので一番に「ユーザーの心理」を勉強しました。ユーザーの行動データを使って分析していました。
会社を離れフリーランスに起業するまで
楽天では、グローバルから日本市場のPdM、iOSアプリの開発を経験しましたが、わずか14カ月で辞めることを決断しました。実際、何千万人も利用者がいる楽天のプラットフォームはやはり凄いものだと思いましたが、一方で、誰かが作った既存のプラットフォームを改善するという作業は自分には達成感が足りなかったんです。
もう少し、0→1など小さな段階でもいいので、自分自身でやってみたいという思いが強くなりました。また、同時に楽天に入ったきっかけでもある一緒に事業をやろうとしている友人と意見がなかなか合わず一緒にやることを断念しました。そのようなことが重なり、一旦自由の身で世界を見てみようと思いフリーランスになりました。といってもフリーランスをずっと続ける予定はなく、起業を見据えてフリーランスになったので、今の状況に満足するのではなく、「自分が何のためにフリーランスになったのか」という目的を常に忘れないように意識していました。
もともと自分のプロダクトを作って起業しようと思っていたのですが、ある時、中国の友達と話をしていたら、どうやら中国は今モバイルインターネットの発展が目覚ましく、ECは2桁の成長率ということを耳にしました。そして、中国の友人がサプライチェーンや工場の方のリソースがあったため、2015年の10月Gugritという会社を立ち上げ婦人下着のEC事業を始めました。
キャッシュが尽き、悔しいながらも1年でEC事業から撤退。学ぶ事は多かった
ただ実際は、なかなか上手くいかず、16年6月にはキャッシュの残りが見えてきました。それからECを維持できるかできないかというぎりぎりの日々を過ごし、同年9月くらいにあと1ヶ月程で、キャッシュがなくなるという状況まで運営をしました。
会社経営をしてキャッシュフローの重要さが痛いほど分かりました。また、エンジニアだけの仕事をしていたら学べなかったサプライチェーンの分野も学べて本当に良かったと思っています。
この時期、丁度「Appleのサプライチェーンの秘密」という記事が出ていて、それを読み、「なるほどな」と思いました。Appleの製品は、デザインや技術の良さはよく語られますが、その裏に高い品質を維持しながら量産できる世界トップレベルのサプライチェーンを持っていることを知り、サプライチェーンの重要性を感じました。
妻と友人に説得されたことが大きかったですね。私自身は、なんとか挽回したいという気持ちだったんです。「自分の犯したミスは分かったしどうにか解決したい、直したい。もう一度チャンスを下さい」というマインドセットになってしまうんです。それを、妻や友達からは1日かけて説得されました。暴走寸前に止めてくれたことは今でも感謝していますし、今思うと悪くない選択だと思っています。
世の中には、リスクをもっと取る人と辞める人どちらのタイプもいます。ただ、私の価値観の中では、幼い子供もいましたし、流石に家族をそこまで傷つけることはできないという思いがありました。
事実、エンジニアのキャリアだけを積んでいくのなら、そんなリスクはないんですよ。けれども、やっぱり私の一番の心残りは、VOYAGE GROUPで「5年以内に100万ユーザーに使ってもらえるサービスを作りたい」と言ったことが実現できなかった事なんです。それが、エンジニアからハイブリットな人間になっている所以だと思います。
C Channelでは業務委託~CTOへ就任
失敗を引きずっていても悪い方へ進んでしまうので、取り敢えず仕事をしようと思い、友人の紹介で業務委託という形で、C Channelへ入りました。丁度プロダクトがマーケットフィットし始めた頃で、HOW TO動画でヒットしており、丁度アプリを作るという時期でした。当時は、業務委託だったこともあり、実現可能不可能に関わらず、サービスに対して言いたい放題でしたね(笑)そんな状況で2年間務め、正式に次の会社が決まったので、C Channelを辞めました。けれど、ある時、C Channelの森川社長に誘われ、直々にCTOへなってくれないかと打診されました。まだ次の会社にジョインして数か月しか経っておらず今から頑張るぞという時期でした。その会社へも迷惑をかけることになるので正直迷いましたが、CTOのオファーを承諾した理由はC Channelの複数のエンジニアメンバーが私を推薦してくれたことです。私のことを信頼してくれる仲間をちゃんと大切にしたいと思い、C Channelに戻ることにしました。
先ほどもお伝えした通り、こうした方が良いなどと言いたいことは何でも言っていたので、その姿勢だと思います。
技術負債や採用をどう捉えるべきか
限りある人材の中でどうやって効率良く業務を回すかということを常に考えています。その為に必要な組織づくりや技術スタック選定等を行っています。
エンジニアとデザイナー合計で20名弱です。もともとはC Channelのサービス本体とmystaというサービスのエンジニア組織が完全に分かれていて、両方見ているという状況だったのですが、最近はこの2つの開発チームを合体させようとしています。
もちろんプロジェクトごとに分かれて業務のミーティングを行うことはあるのですが、基本20人ワンチームという考え方です。月1回20人と1on1を行うことは大変ですが、一人一人の生の意見を聞けるのは貴重だと思っています。そもそも20人くらいの規模であれば分ける必要性はないと思っています。
自主意識が高いメンバーと、まだ主体的に動けないメンバーとでは、内容は全然違います。自主意識が高いメンバーの場合は情報共有がメインで、何か課題があれば一緒に解決していくというスタンスで行っています。一方、まだ主体的な動けないメンバーは1on1で、ある意味面倒をみるようなスタンスです。
ビジネスに影響がない技術負債は、あまり積極的に取り組むべきではないと思っています。例えば、社内で1つ失敗例があります。当時のC CHANNELでは、昔からあるAndroidのアプリに技術負債があり、何とか動いてはいるという状況でした。そこで、メンバーを採用してリファクタリングするためのチームを作り上げることになりました。けれど、半年かかってもMasterへマージできず、その時間何もできませんでした。負債は確かにあるのですが、それを返済するために別の負債がでてくるんです。それではやはりもったいないなと思い、半年位経った頃、リファクタリングのプロジェクトをストップして、既存のアプリの開発へ移しました。
この経験から、ちゃんと深堀しないままエンジニアのプライドやエゴに流されてしまうと駄目だなと思いました。一旦、ビジネス的な必要性を見極めて、本当にこれが直らないとプロダクティビィティ(生産性)が落ちるようであればやるべきだと思います。
エンジニアは、全体的に給料が割高ですよね。なのでそれを負担できる企業は、私は健康的な企業だと捉えています。「Software is eating the world. (これから世界はソフトウェアにのみこまれる)」という話がありますが、これは必ずやってくると思っています。その中で、どのような企業がこの流れに乗れるかというと、すでに黒字のビジネスがあり、そのビジネスで生み出したお金を開発研究(R&D)へ流し、さらにエンジニアがそのビジネスにプラスになるような仕組みを作るといった循環が出来ている会社だと考えています。そのため、弊社も金銭的に余裕があればどんどんエンジニアを増やしていきたいと思っていますね。
現在、C Channel全体の開発部の全社人員の10%ですが、全体が減ってエンジニアの割合が高くなってもよくないと思っています。エンジニアは、クリエイティブな仕事です。人と話し合い、アイディアを出して、色々な動作で出来ているのです。そのため、そもそもの違う職種の人が少なくなるとクリエイティビティを出すのは難しくなってきます。
一番大事なのは、「マネージャーに何をしてもらうか」です。弊社のような20名くらいの小さな組織であれば、その答えが見えないので現段階では必要としていません。
また、マネジメントの仕事は、向いている人と向いていない人がはっきり分かれるとは思います。エンジニアの中からマネージャーになれる人の割合は低いと思っていて、現実的に今のメンバーにマネージャーを任せることへまだ不安もあるんです。なので、現時点では自分が一人でやった方が全体的にも健全だと思っています。
日本CTO協会でCTOの方と交流すると、共通点が2つあります。1つ目がコミュニケーション能力が非常に高いこと。2つ目はテクノロジーの奥行きが好きだということ。CTOは、コードを書いていない場合がほとんどだと思いますが、テクノロジーへの興味は非常に熱心で、CTO同士で話をしていると盛り上がりますね。なので、その2つの素質があれば、CTO候補やCTOとしてやっていけるんじゃないかな、と思います。そのため、CTOを目指すのであれば、まずは技術力を磨いて、それからコミュニケーション能力磨いていけばよいのではないでしょうか。
現状、テクノロジーからビジネスの効率を上げることが、まだ十分できていません。具体的にいうと、例えば、社内のオペミスを減らすことやレポート改善など取り組みたい課題はたくさんあります。多少時間がかかりますが、これらが解決すれば業務効率がグッと上がるので、しっかりと取り組んでいきたいです。