やるべき事に邁進していたらCTOに!ポジティブな意思決定で、積み上げたキャリアとエウレカ組織を語る

金子 慎太郎(かねしん)|株式会社エウレカ 取締役CTO

2010年、東京理科大学理学部を卒業後、組込系企業に入社し品質保証に従事。2011年、カナダ留学。帰国後、東京理科大学の研究室OBとして最適化理論の研究に携わる。2012年、株式会社エウレカに入社。「Pairs」および「Couples」の立ち上げメンバーとして開発に参画。2017年10月、取締役CTOに就任。

株式会社エウレカについて

はじめに、御社の事業内容を教えて下さい。

弊社は、恋活・婚活マッチングアプリサービス『Pairs』を運営しています。同社アプリは、日本で急成長中のオンラインデーティングサービス市場において、国内最大級規模を誇り、現在、日本と台湾・韓国を合わせて累計会員数1,000万人を突破しています。

2019年7月から、オンライン結婚相談所サービス「Pairsエンゲージ」の提供を、関東、関西、東海エリアで開始。2021年には全国に拡大するなど、サービスを通じて幅広い出会いを支援しています。

気持ちの赴くままに生きていたら、エンジニアの道に

ここからは、金子さんのキャリアについてお伺いします。最初に、モノづくりやインターネット、プログラミングへ興味を持ったきっかけを教えていただけますか?

小学校時代、VHSデッキなど機械を分解して作り直すことが好きな少年でした。今思えば、これがモノづくりへの興味の原点だったと思います。

初めてパソコンに触れたのは、小学生の時。父親がWindows95を購入したことがきっかけでした。当時は、ペイントのソフトに触ったりと、基本ソフトで遊んでいましたね。

中学生になると、世の中にインターネットが着々と普及し始めました。当時は常時接続ではなかったため、月10時間の無料枠でインターネットを楽しんでいました。何かを調べたり、遠くの人とリアルタイムでやりとりする中で、コンピューターサイエンスそのものに興味を抱くようになりました。

高校生になると、Webサイトホスティングサービス「Yahoo!ジオシティーズ(現在はサービス終了)」を使って、自分でWebサイトを実装して公開するようになりました。

その後、東京理科大学理学部に進学されていますが、この学校を選んだ理由を教えて下さい。

高校3年生の6月頃に、受験しようと決めて勉強を開始しました。夏休みに予備校の夏期講習で数学と英語の講義を取ったのですが、そこで出会った数学の先生がとても教えるのが上手で感動しました。それから、「その先生のような数学の教師になりたい」という夢を抱くようになり、数学を学べる学部を志望し、東京理科大学理学部に進学しました。

もともと数学の教師を夢見ていた金子さんがエンジニアになった背景を教えていただけますか?

大学1年生の時の話になりますが、教員免許取得に履修が必須だった講義がありました。しかし、学期末に行うテストは、膨大な量の中からランダムに10問出てきて、6割以上を取らなければ単位を貰えないという仕組みで、結果、単位を落としてしまいました。

もともと、僕は何事もポジティブに考える性格なのですが、単位が取れなかった=「この道は向いてないのかもしれない」と思い直し、潔く教師の道を諦めました。

大学では、最適化理論の研究にはじまり、数学を学ぶことがとても楽しかったので、もっと突き詰めて研究したいなと、当初は大学院へ進学する道を考えていました。ただ、周りの友人が就職活動をしている中で、僕も「就職活動というものを経験してみたい」と、少し活動してみたところ、思いがけず組込系の企業から内定をいただきました。悩みましたが「せっかく内定をいただいたものご縁だ。やってみよう!」と決心し、そこから僕のエンジニアキャリアがスタートしました(笑)

その後、組込系企業を退職し、カナダへ留学されていますがその理由を教えて下さい。

新卒で入社した組込系の会社では開発者として入社しましたが、一年目は品質保証の仕事に従事していました。ある時、その会社が希望退職を募っていて、それが今後のキャリアを考えるきっかけになりました。

入社間もない頃、メンターをしてくれた先輩が言っていた「今後、プログラミング、財務、英語ができるエンジニアは長く活躍できるよね」という言葉を思い出しました。中学生から、僕は英語が苦手だったのですが、将来を考えた時にそこに苦手意識があるのはもったいないなと思い、退職金が出ることも良いタイミングだったので、英語の苦手意識を克服する良い機会だと思い、カナダ留学することを決意しました。

カナダ留学から帰国後、エウレカに入るまでの経緯を教えて下さい。

カナダに留学していた時に、Macbook Airを購入しました。退職後に大学のOBとして最適化理論の研究に携わっていたので、C言語で数値解析を行うプログラムをしたり、Webエンジニアにも興味が出てきたため、Webサイト制作やJavaScriptを使って開発をしていました。それから、2012年6月、日本へ帰国して4ヶ月間ほど、最適化理論の研究に携わる傍ら、個人的に、iOSアプリやWebサイトの開発をするような生活を送っていました。

エウレカの採用面接の中で、複数のアプリをアイディア出しから完成まで一貫して取り組んだ話をしたところ、評価して貰えて内定をいただきました。

ちなみに大学で学んだ最適化理論の研究は、Web系エンジニアとしても何か生きていますか?

最適化理論は昔からあるものの1950年代から台頭してきており、数学の歴史の中ではまだまだ発展している分野です。ここ何年かでAIがかなり注目されていますが、AIの内部のロジックで最適化理論の一部が使われています。また、最適化理論は経済でもゲーム理論であったり、金融工学ではポートフォリオ最適化など、応用される領域は枚挙にいとまがありません。

特に、機械学習や深層学習の内部の数学的な理論を理解できているのは大きなメリットだと思っています。普遍的に活かすことのできる知識を持っていることは大きな武器となっています。

Pairsの立ち上げと受託を兼務し、マネージャーへ昇格

エウレカ入社当時のエンジニア組織はどのような体制でしたか?

Pairs事業部と受託事業部の2つに分かれていました。Pairs事業部のエンジニアは、入社したばかりの僕含めて3人、受託事業部のエンジニアは、5名程の組織でした。

入社して、Pairs事業部に配属されたときは正直驚きましたね(笑)

今は、Pairsで有名なエウレカですが、面接をした日はローンチ前で、世間一般的にもマッチングサービスというサービス自体あまり主流ではありませんでした。
従って、エウレカの事業自体も、受託開発がメインで、自社サービスの開発もやっているという事業形態でしたので、てっきり入社後は受託開発をすると思っていました。

いざ入社して、Pairs事業部へ配属された時には、「え?僕がマッチングアプリの開発をするの?マ、マッチングアプリって(当初は出会い系と区別がまだされていない時代だったのもあり)・・・・・・。この会社、大丈夫なの?(笑)」という気持ちが大きかったです(笑)

エウレカ入社当時の金子さんの役割を教えて下さい。

Pairs事業の開発に従事する一方で、いつの間にか受託事業の業務にも従事していました。

僕が入社した直後、受託事業のエンジニア兼Webディレクターの方が退職をし、納品物の品質を担保することが難しくなっていました。

その受託事業部の様子を横目で見ていて、前職の品質保証の知識とエンジニアとしてのコーディングスキルをもって納品物の品質向上を考え、徐々に受託事業の中にも入り込むようになっていました。半年後には、受託事業部のインターン生のフォローや評価も担当するようになっていました。
このように、やるべき事をしていたら、2014年10月、会社としてマネージャー制度が確立されたタイミングで、マネージャーへ昇格しました。

「Pairs」の立ち上げ時は、大変なことは色々あったと思いますが、何か一つ印象的だったエピソードを教えて下さい!

当時、CMOの中村(愛称:とんかつさん)と、ユーザー獲得の一貫として色々企画を立てていました。その企画の1つで、Facebookを使った「診断Pairs」というコンテンツのFacebookアプリ開発したのですが、これがとてもバズりました。

ユーザー数も多かったので、四六時中、サーバなどの対応に追われていました。こんな時期が3ヶ月ほど続いたので、大変でしたが楽しかった思い出の1つです。

前任から引継ぎCTOに就任。やり方は違えど、ビジョンは変わらない

2017年10月、CTOへ就任されましたが、CTOを打診されるまでの経緯を教えて下さい。

2017年3月、当時CTO&COOだった石橋(現在 同社代表取締役CEO )と他マネージャーの合計5人で、マネージャー合宿に行きました。その場で、石橋から次のタイミングで、CTOからCEOになるという話を聞き、その後の評価面談で僕にCTO候補として働いて欲しいと依頼されました。

その時の心境はいかがでしたか?

僕自身、人のキャリアについてアドバイスする事は好きなのですが、自分自身のキャリアに対してはあまり具体的なビジョンを持っておらず、必要に応じて役割を変化させてスキルやキャリアを築いていくスタンスを持っています。だから、「CTOになりたい!」というように役職には強いこだわりはありませんでした。役職に就いたからといって、エウレカの成長に貢献するというやるべきことは変わりませんから。

CTOになって何か変わったことはありますか?

CTOに就任してから、他社のCTOのお話を聞く機会が増えました。各社に色々なCTOがいますが、その方と情報共有して、そこで得た生の話は大変参考になりました。加えて、色々なマネジメントの本を読み、様々な経験則に触れることで、物事を考えるスキルがさらに上がり、思考の精度も高まりました

金子さんがCTOに就任するにあたり、前CTOの石橋さんとの求められる役割の明確な違いなどはあったのでしょうか?

石橋がCTOだった時も、今も、エンジニア組織のトップとして「エンジニア組織を強くしていく」というミッションには変わりありませんが、やり方は大きく変わりました。

石橋の場合は、採用や評価など制度を作ることが得意だったので、組織の土台を固める役割を担っていました。その後、僕にバトンタッチしてからは、石橋が作った土台の上で、「エウレカのエンジニア」を登壇などを通して外へ広く発信していくようになりました。
つまり、石橋が1→10の段階を担当し、僕が10→100の組織にする段階という感じですね。

現在の金子さんの業務バランスを教えていただけますか?

1年の中でもばらつきがありますが、技術的な視点での経営が全体の約6~7割を占めています。どんな組織にしていくかを短期・中期・長期などで計画を立て、文書化しています。
それから2割が、プロダクト開発です。プロダクト開発といっても、各プロジェクトにテックリードがいますので、基本、口を出すことはせず、まとめる業務が中心です。最後の残り1割で、溝に落ちている開発タスクに手を付けています。

個人の成長が会社の成長に繋がる。エンジニアの体制とキャリア形成

現在のエンジニア組織のチーム体制について教えて下さい。

エンジニアチームは、例えば、iOSチーム、Androidチームなどのように職能別にチームが分かれています。その上で、各チームから人をアサインしてプロジェクトを作り、各プロジェクトごとに進めていくといった体制です。

エンジニアのキャリア形成については、どのように考えられていますか?

会社の成長には、個人の成長が必要不可欠です。そのため、エンジニアメンバーには、一人一人が何らかのプロフェッショナルを確立することの大切さを伝えています。

手広くやっている人は、スタートアップだと重宝されますし、個人としても色々やっているので満足感もとても高いです。しかし、会社やプロダクトが成長すると、会社としてはよりプロダクトを成長させるためにさらに技術力を高めていかなければいけませんので、専門性の高い人を採用する必要性が出てきます。そうすると、専門性持っている人達が採用で入ってくるので、自分自身が1つ以上の専門性を持たないとそのレベルについていくことが厳しくなってきます。特に今の大学生なんて、技術力が高く、手を動かすのが早い人が五万といますから、そんな若い世代にも負けない専門性と経験が必要になります。

仮に、スタートアップへ転職したとしても、結局、0→1の経験の繰り返しになるので、1→10、10→100といった組織の成長に合わせて個人も成長していった方が将来のキャリアを考えた時に良いと思っています。0→10は作ることを主軸にする人が多いですが、10→100のフェーズでは、今あるものをときには壊して整備していく運用目線での開発力・技術力が重要になります。

エンジニアを採用する時のポイントを教えて下さい。

謙虚、尊敬、信頼の3つを大切にしています。この3つが揃っていると、自分のスキルがいかに高かったとしても、会社の現状に合わせて必要なところで必要な力を発揮してくれると思います。

「高い専門性を持ってるから、それを発揮していきたい」という視点より、「1~2年後、こういう風にしていきたい」と思える人が合っていると思います。

また、前提として、エウレカのミッション、ビジョン、バリューに共感してくれるかどうかは大きなポイントです。

新型コロナウイルスの拡大の中で、エンジニア組織の働き方や、チームの規模、組織体制は何か変化はありましたか?

エンジニアは、あまり影響がないです。しかし、組織として勉強会やモブプログラミングという文化は少なくなっていると感じますし、皆、雑談を欲しているとは感じますので、今後はその辺りを整えて行かなければと思っています。

現在では、通勤時間が減った分の時間を自己投資時間に充てられるように、資格取得のためのサポートをしたいと考えているところです。

最後に、これからエウレカで金子さんが成し遂げたいことや夢を教えて下さい!

エウレカでは、エンジニア組織を今後のエウレカの急成長を支える強い組織にしていきたいと考えています。エンジニア組織をスケールさせていくことで、エンジニア一人一人がキャリアを築ける、そんな組織を目指したいです。

また、一人のエンジニアとして持っている夢は、OSS活動やGitHubなどで、エンジニアが自分で開発したソースコードを公開していく文化の発展に貢献することです。OSS活動は、まだ慈善要素が強く、所属する企業によってはOSS活動をすることが難しいところもあります。すでに、自分が利用しているサービスやOSSに対して、スポンサーの仕組みでお金で応援するようにしていますが、様々なエンジニアが、もっとOSS活動しやすいように何か出来たら良いなと思っています。

最後に、個人としては、数学の研究もしたいですし、クラフトビールが好きなので、その界隈を盛り上げていきたいと考えています。

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