エンジニアこそ、経営を学ぶべき——ビズリーチCTOが語る、フリーランスからCTOになるまでの軌跡

即戦力人材と企業をつなぐ転職サイト「ビズリーチ」の運営など、Visionalグループのなかで、HRTechのプラットフォームやSaaS事業を担う株式会社ビズリーチ。本日は、同社入社3年で執行役員 CTOに就任した外山氏へこれまでのキャリアや今後のビジョンについて伺いました。

外山 英幸|株式会社ビズリーチ 執行役員 CTO(Chief Technical Officer)

2005年よりWeb制作会社でフルスタックエンジニアとして開発を担う。その後、フリーランスとしてNTTデータなどで開発・運用・保守を経験。2011年より株式会社BookLiveで、エンジニアマネージャーやアーキテクトとして、創業期から売り上げ100億円規模に至るまでのシステム開発を主導。2017年より株式会社ビズリーチで、キャリトレ事業部やビズリーチ事業部のプロダクト開発部長を歴任。2020年2月、現職に就任。

株式会社ビズリーチについて

まずはじめに、貴社の事業内容を教えて下さい。

Visionalグループは、“新しい可能性を、次々と。”をミッションに掲げ、産業のデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するため、さまざまな事業を展開しています。株式会社ビズリーチ(以下、ビズリーチ)は、同グループのHRTechのプラットフォーム事業やSaaS事業を担っており、即戦力人材と企業をつなぐ転職サイト「ビズリーチ」、挑戦する20代の転職サイト「キャリトレ」、人財活用プラットフォーム「HRMOS(ハーモス)」、OB/OG訪問ネットワークサービス「ビズリーチ・キャンパス」といったサービスを展開しております。

ビズリーチには、“すべての人が『自分の可能性』を信じられる社会をつくる”というミッションがありますが、その文化がしっかり会社に根付いており、サービスにも反映されています。

例えば、「ビズリーチ」は、転職サイトではありますが、転職を促すだけのサービスではありません。ミッションに掲げている『自分の可能性』を広げるためには、転職が最適な選択肢の場合もあれば、現在の会社に留まった方が良い場合もあると思います。株式会社ビズリーチでは、そのように働く人が自身のキャリアについて常に考え続け、キャリアを構築していくために必要なインフラ、「キャリアインフラ」として、一人一人の働き方に生涯寄り添い、サポートすることにより、新しい時代に向けた働き方の変革を支えていくことを目指しています。

小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、“プログラマー”

続いて、外山さんのキャリアについて伺います。最初に、プログラミングへ興味を持ったのはいつの頃でしたか?

小学5年生の時に、父がMacintoshのパソコンを買ってきて、そこで初めてパソコンに触れました。当時はWindows95が出始めた頃で、周りはそれでゲームをして遊んでいました。一方、父が買ってくれたMacintoshは、Windowsと比べてゲームが少ない反面、プログラミングで図形を描くようなツールが入っていたので、私は、簡単なプログラミングを組み、図形を描いて動かしたりして遊んでいました。

ただ、ゲームも大好きだったので、並行してスーパーファミコンでゲームをしていました。ゲームで動いているものと自分がプログラミングで描いているものが紐付かなくて、「このゲームはどのようにして、このような動きをしているのだろう?」と考えていました。まだ小学生なので、当然ハードウェア、プログラミングともに全く想像もつかなかったですが、当時からものづくりには非常に興味を持っていました。

その時期に偶然、テレビでセガのゲーム開発現場に迫るドキュメンタリーを観たことがきっかけで、プログラマーを夢見るようになりました。番組では、4~5人の少数チームが一丸となって一生懸命開発をしている様子や、リリース後、皆で喜んでいる様子が放送されていました。その光景がとても印象に残り、ゲームプログラマーの仕事へ憧れを抱くようになりました。小学校の卒業文集には、既に”将来の夢はプログラマー”と書いていましたね。

それから、中学校に上がってからも夢は変わらず、インターネットの安い時間帯の夜中~朝3時を見計らって、夢中でインターネットをやっていました。そのため、寝不足がたたり、学校の授業では結構寝てしまってましたね(笑)

周りの反対を押し切り、ゲームの専門学校へ進学

それからどのようにしてプログラマーになったのでしょうか?

その後は、情報系の分野を学ぶため、鹿児島県内の進学校で唯一、情報系のコースがある高校へ進学しました。けれども、高校で学ぶ情報系の勉強は、実践的な開発よりは知識習得を目的とした内容が多く、ゲーム開発を学びたかった当時の私には物足りなさがありました。

卒業後の進路を決める際も、学校は「国立の工学部に行くこと」を推奨していたので、「ゲームを学ぶために県外のゲームの専門学校に行く」と話すと、両親はもちろん、教師からも大反対されました。一方、私も割と頑固な性格なので、結局センター試験の願書を出さず、大学へ行く道を拒みました。

とはいっても、高校生の私が、親の援助もなく自力で専門学校に行けるかというと、そんなお金を準備出来るわけがなかったので、まずは鹿児島にある職業能力短期学校に通い、そこで技術を磨きながら、お金を貯めて東京の専門学校へ行こうと考えていました。

しかし、12月のある日突然、父親が「この学校が東京にある一番老舗のゲームの専門学校らしい。今週末に受験してきなさい」と受験票と東京行きのチケットを渡してくれたんです。私の本気の思いが伝わったのか、最後は両親も応援してくれて、無事念願だったゲームの専門学校へ行くことができました。

専門学校はいかがでしたか?

とても充実してました。数多くの専門学校の中でも、その専門学校は基礎からしっかり教えてくれる学校でした。デザイナーになりたい、プログラマーになりたいという希望があるにせよ、1年目は、全ての工程を経験させてくれて、その後、2年目から、自分の選択した専門分野を学ぶことができました。

少数チームで仕事がしたいと思い、WEB業界へ飛び込むことを決意

ゲーム業界へ憧れ、専門学校への道を志したそうですが、卒業後の進路にWEB制作会社を選んだ理由を教えて下さい。

当時のゲーム業界は、小さい頃に憧れていたような少人数規模での開発ではなく、大手だと何百人規模で1つのゲーム開発をすることが主流でした。もちろん、パソコン用のゲームの場合は、少数の案件も多くありましたが、コンテンツ自体に興味を持てなくて。どうしようかと考えていた時、WEB業界はまだ規模は小さく、4~5人規模の中にエンジニアが1人いるという環境が普通だという事を知りました。もともと少人数で裁量権を持ち働きたいと思っていたので、そこへ飛び込むことを決意しました。

WEB制作会社ではどのような仕事に携わっていましたか?

大手百貨店のECサイトや芸能人のWEBサイトなどを受注していました。エンジニアは私1人だったので、ひたすら本を読んで勉強しましたね。会社から帰ると夜中の4時くらいまで、 O’Reilly の本を読んで寝るという生活でした。ほぼ週7日働くような環境でしたが、とても楽しく仕事をしていました。

もちろん、トラブルも経験しました。ある時、作業効率化のために作った自動生成ツールに不具合が出て、大きなクレームが入ったことがありました。その時、自分が楽をしよう、と思ってやったことで不具合が出てしまったので、申し訳ない気持ちと不甲斐なさに対する悔しさでいっぱいで、思わず涙が流れてくるほどでした。この時を境に、品質に対する意識が大きく変わりましたね。

その後、フリーランスになった理由を教えて下さい。

フリーランスになりたかったというより、20代のうちは、色々な現場を経験したいという思いが強かったんです。様々な現場に行くことで、自分の苦手な分野や経験したことのない分野に挑戦してキャリアを積んでいきたいと思っていました。実際、楽天で大規模なデータ処理を経験したり、NTTデータや地方公共配信システムなど幅広い現場で経験を積めたのは良い経験になりました。

それから、転職して最初の現場だった凸版印刷の繋がりで、BookLiveにジョインすることになりました。

フリーランスを経て、マネージャーを経験。経営的視点を持つようになった

株式会社BookLiveは、どのようなポジションでどのような仕事を経験しましたか?

私がジョインしたのは、BookLive創業4カ月目位で、今まで外注していたシステムをこれから内製化し、サービスをスケールしようというタイミングでした。当時、私は、テックリードというポジションで入社し、その後エンジニアマネージャー兼アーキテクトへとキャリアを進めていきました。

マネージャーという立場を経験されていますが、マネジメントはいかがでしたか?

以前も、リーダーのような立場を経験したことはありますが、最初は、自分がやった方が早いという気持ちから自分でやってしまっていましたね。その結果、私自身が業務過多になり、さらにはチームメンバーもうまく機能しない、という状況に陥ってしまいました。

このマネジメントの失敗から学んだことは、“自分はハブになって任せる”ということです。フリーランス時代、自分の苦手な領域は、その分野のスペシャリストが対応したほうが、圧倒的に良いものができたという経験があります。つまり、マネージャーとして、メンバーそれぞれの特性をきちんと発揮できる環境を整えることができれば、チームの生産性が最大化されるんです。以降は、マネジメントに対する考え方が変わり、自分は書かず、支えるほうに回るという方針を採るようになりました。

この時、中小企業診断士の勉強をされていたそうですが、何故でしょうか?

BookLiveは、社長との距離も近く、会社のビジョンが見える環境でした。しかし、私に経営の知識がなかったため、何故、このような経営戦略を採るのか、何故ここに投資しているのかといった経営判断を理解できないでいました。それ故、きちんと理解したいという気持ちから、ビジネスを学びたいと考え、32歳の時に中小企業診断士の勉強を始めました。

中小企業診断士は、「経済学・経済政策」「財務・会計」「企業経営理論」「運営管理」「経営法務」「経営情報システム」「中小企業経営・政策」の7科目あるのですが、体系的に学べて非常に良いインプットになりました。

私は、エンジニアこそ経営を学ぶことをお勧めします。事実、エンジニアが作っているプロダクトは、最終的には顧客に届けるものであり、その顧客に価値を感じていただき、対価をいただくことで、事業として成り立つのです。だからこそ、経営を理解することで、納得感を持ってプロダクトをつくることができるようになります。もともとエンジニアは、感情論ではなく論理的に考えたいと思っている人が多いと思うので、自分のためにもチームのためにも学ぶことは良いことだと考えています。

その後、ビズリーチへ転職した理由を教えて下さい。

BookLiveでは、Kindleのような端末の開発、外部との連携など、あらゆる事業に携わり、開発者としてはやり切ったという感覚がありました。そのため、私自身、次のステージとして「もっと経営に近いところをやりたい」という思いが強くなってきたので転職を考え始めました。

小さい会社のCTO候補のようなポジションを経験できたら良いな、と思い、検索サイトで“CTO候補 転職”で検索したら、一番上に「ビズリーチ」が出てきたので、まずは一人の求職者として「ビズリーチ」へ登録したことがきっかけでした。

それから、色々な会社を見ている中で、ビズリーチからもオファーが来たので会いに行きました。ビズリーチの「組織としては1000人を超えているが、新たな事業も次々と立ち上がったり、常に変わり続けているため、まだまだベンチャーのようなフェーズ」という話がとても印象に残ったのと、自分がチャレンジしたことのない領域でもあったので、ここで挑戦してみようと思いました。

ビズリーチのCTOになるなんて、想像していなかった——1人のプレイヤーからCTOになるまで

入社後は、どのような業務に携わりましたか?

2017年に入社し、初めは「キャリトレ」という事業から関わりました。最初は、プレイヤーとして入社したので、コードもバリバリ書いてましたね。自分の仕事だけに集中すれば良い立場だったので、良いものを作るぞと意気込み、楽しみながら取り組んでいました。

もともと、プレイヤーとして入った後にチームを最適化していきたいと思っていたので、描いたビジョンと近いキャリアパスが描けています。開発プロセスもビジネスもそうですが、PDCAを回すことが重要です。以前の経験から、再現できるものは再現しても良いですが、過去の成功体験にこだわるのは失敗のもとだと思います。従って、当時はプレイヤーとして経験を積んで、1年後くらいにマネージャーを目指すというキャリアパスを描いていましたが、実際は、入社後半年でマネージャーになり、1年後には部長、3年後にはCTOに就任したので想像よりスピードは早かったです(笑)

CTOへの就任はサプライズでしたか?

全く想像していなかったですね。そもそも、グループ経営体制になることを想定していなかったですし、当時、竹内(現ビジョナル株式会社 取締役 CTO)という、私自身エンジニアとしても非常に尊敬していて、存在感のある人がビズリーチのCTOを務めていたので、まさか自分がその立場になるとは想像もつきませんでしたね。

どのようにしてCTOを務めることになったのでしょうか?

入社2年目の時、「キャリトレ」のフルリニューアルをすることが決まりました。会社の事業としても大事な意思決定が必要なプロジェクトだったので、色々なメンバーの意見を仰いでいたら、最終的に竹内にたどり着きました。そこから、竹内と直接やり取りをするようになりました。

私にCTOを任せるきっかけの一つとなったのが、「キャリトレ」のフルリニューアルに至るまでのプロセスや、不確実性が大きい中での様々な決断自体が評価されたのだと思います。当時はまだ入社して間もなかったので、長く内部にいたら言えないような発言も臆することなくできたこともあると思います(笑)

それからある時、竹内に呼び出されて「CTOという立場でしか見られない景色があるから、是非、外山君に挑戦して欲しい」と言われ、CTOを引き受けることになりました。

前任のCTO竹内さんから、学んだことはありますか?

ありすぎるくらい、色々学ばせていただきました。1つ挙げると、多様性のある文化における組織のまとめ方ですかね。私もチームマネジメントという意味では、BookLiveで経験したことはありますが、ビズリーチとは規模や範囲も比べものになりません。このような巨大な組織の中で多様性がある文化をどうまとめるか、優先順位の付け方はとても悩みます。そのような場面に出くわした時、竹内には優先順位の付け方を教えてもらいました。

ビズリーチの前任のCTO竹内さんは、現在ビジョナル株式会社の取締役CTOに就任されておりますが、今お二人の関係性はいかがですか?

竹内含め、Visionalグループの創業メンバーにはびっくりさせられるところがあります。竹内は創業メンバーでずっと、ビズリーチのCTOを務めて来た人間なんですが、通常、創業者でこれだけ会社を大きくした場合、その事業の決定権や権利を手放したくない方が多いと思うんです。けれど、弊社の創業メンバー達はその権利を普通に手放すんです。自分の気持ちよりも、今後の会社のスケールを第一優先に考え、今のフェーズの適任者に任せると決めて委ねられる人が多いです。そのため、現在のビズリーチのCTO業務は、CTO/CIO/CISOと分業する形で完全に私たちに任せてくれています。

最後に、これからCTOとして外山さんがビズリーチで成し遂げたい事や個人の夢を教えて下さい。

5Gの台頭もあり、2025年頃には同時接続が増えたり、身の回りのあらゆる機器がネットに接続する時代がやってきます。自分自身、インターネットの普及やスマートフォンの登場など、パラダイムシフトと呼べるような転換期を経験してきましたが、5Gの流れも周辺技術が成長すれば同じように時代が変わるという期待感があります。その流れも活用し、新たな課題解決や価値提供を行えるサービスを提供する会社でありたいと思っています。

今年からCTOに就任し、経営メンバーと一緒に10-20年後のグループ全体のビジョンを描いている最中ですが、全社戦略として壮大なシナリオを描いています。難易度の高い夢のような戦略なのですが、ビズリーチもVisionalグループのなかのHR Tech事業として、どうそこを目指していくかと考えれば考えるほど楽しくなってきています。したがって、今は、会社の夢を達成すること=私の個人の夢にもなっていますね。

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