死ぬまで開発者を続けたい——30代目前で天職に気づいた派遣エンジニアがCTOになるまで

30万冊以上のマンガが保管されている倉庫を併設するオフィスを飯田橋に構える株式会社TORICO。本日は、同社でCTOを務める四柳氏に、何故20代後半にエンジニアを志したのか、どのようにして派遣エンジニアから現職のCTOに辿り着いたのか、これまでのキャリアとこれからについてお話を伺いました。

四柳 剛|株式会社TORICO CTO/開発本部長

アップルアートカレッジ卒業後、実家自営業の手伝い、音楽専門学校講師、DTPデザイナーを経て2005年上京。音楽活動の傍ら派遣で開発のテスター業務に携わる。2007年より、派遣Javaエンジニア。2010年株式会社 gumiへ入社し、ソーシャルゲームの開発、技術部部長を経験。2013年9月株式会社 TORICO入社。2016年、同社CTOへ就任。現在は、サービスの開発を行う傍ら社内システム環境整備やエンジニアの教育・採用業務に従事している。

株式会社TORICOについて

TORICO限定で、「描きおろし収納BOX付きの漫画全巻セット」の販売を行っている
御社の事業内容を教えて下さい。

株式会社TORICOは“世界に「楽しみ」を増やす”をミッションに、現在はマンガに関する事業を展開しています。マンガの全巻販売を行う「漫画全巻ドットコム」をはじめ、マンガ・小説などの販売を行う「まんが王」、マンガ読み放題サイト「スキマ」、イベントをより身近にする「マンガ展」など、日々の暮らしの中で沢山の“楽しみ”を体感してもらえるよう、挑戦を続けています。

20代半ばまで音楽の道を突き進んでいた

続いて、四柳さんのキャリアについて伺います。20代後半エンジニアを志すまで、どのような人生を歩んできましたか?

幼少時代は、ファミコンやコンピューターが好きだったので、高校は情報処理科のある商業学校へ進学しました。授業の中でCOBOLを学んだり、コンピューター部へ所属するなどIT分野と関わりがありましたが、その頃は仕事にしようと思うほど技術へ興味はなかったですね(笑)

高校時代は、TM NETWORKのコピーバンドをやっていた知人に憧れ音楽を始めました。私は、音楽を全く聞かないタイプの人間だったのですが、その知人の演奏がとてもかっこよかったんです。それを機にピアノを始め、音楽にのめり込んでいきました。

高校卒業後は、音楽エンターテイメント専門学校であるアップルアートカレッジ(現在の名称:SHOW)へ入学しました。ここでは作曲、編曲をメインに、楽器演奏、舞台設備、イベント運営など幅広くエンターテイメントについて学びました。

専門学校卒業後もずっとバンド活動を続けながら、実家が営んでいた植物の流通業の手伝い、アップルアートカレッジの講師、DTPデザイナーなどの仕事に取り組んでいました。特に、DTPデザイナー時代は、イラストレーターでの広告デザインのほか、HTMLやFlashでのWebサイトデザイン、建築物図面からの3Dモデリングなども行い、かなりの量の制作をしていました。今思うと人生で一番忙しかった時期ですね。

それからどのようにしてエンジニアへキャリアチェンジしたのでしょうか?

2005年当時、26歳という年齢もあり、「音楽活動で何か成果を残すにはこれがラストチャンスだ」と思い、バンドメンバーと時期を合わせて東京で勝負に出るために上京しました。

上京後もバンド活動中心の生活だったのですが、同時に、ある企業のテストチームの派遣として働いていました。そこではサイトの監視業務に携わっていたのですが、監視作業の多くを手作業で行っていました。ある時、社員が「(手作業の業務を)前の担当が自動化しようとして、志半ばで完成しなかったコードがあるんだよね。」と見せてくれました。それを見て、私は「面白そうだから動かしてみますね」と言ってコードを書くことにしました。これが実務でコードを書いた初めての機会でしたね。

もともと趣味やバンドのサイトなどでFlashやPHPを触っていたので、そこまで苦労せず組み上げられました。それから、テストで使うテスト用のウェブメーラーやダッシュボードを作ったり、チームのチャットを作ったりなど、業務を自動化していくことに取り組みました。ここで2年程業務に携わる中で、開発の面白さがだんだん分かってきて、やっと仕事にするほどの興味を持ち始めました。

そんな折、バンドを辞めようと決心するきっかけとなる出来事が起こりました。ある晩バンドメンバーが同じ部屋に集まっており、私は一晩中バンドのwebサイトの制作を、メンバーのギタリストはずっとギターを弾いていたんです。私が「よくずっと弾いていられるね」と言うと、彼は「君の方こそ、ホームページのコードをよくずっと書いてられるね」と言いました。

音楽のエンターテイナーとしてお客さんを感動させるためには、1日10時間以上、毎日練習を続けていかなければなりません。私は、実はそれほど楽器の練習が好きではなかったので、そのような人生にずっと少し不安を感じていたのだと思います。この時私が気づいたことは、音楽の練習は辛くてずっと続けることはできないけれど、コードを書くことなら死ぬまでできるな、ということ。それならばと思い、その日のうちにメンバーにバンドを辞めることを伝え、エンジニアとしてやっていくことを決心しました。

派遣を経てゲーム会社gumiのエンジニアに——忙しかったけど楽しかった

それからどのようにエンジニアとしてのキャリアを築いていきましたか?

テストチームの派遣を終えたあと、音楽系の会社に派遣で入りました。ここでは、画面付きのミニコンポのサーバサイドアプリケーションをJavaを使って作っていたのですが、私はここで新規のプロダクトの立ち上げや、既存システムの改修を経験をしました。

Javaは初めての経験だったのですが、本を読めば理解できたので、楽しみながら進めていた記憶があります。既存システムのコード理解は多少時間がかかりましたが、既に動いてるシステムの改修や機能追加が主でしたし、守備領域もそれほど広いものではなかったため、そこまで難しいものではありませんでした。

2010年に株式会社 gumiへ入社を決めた理由を教えて下さい。

派遣契約の期間を終えたので、正社員として働く先を探していたんです。当時の私は、LINUXザウルスというPDAに興味を持ち、趣味でPythonを使って開発していました。その時、Pythonの簡潔でありながら多くの場所で使える点が大変気に入り、前職でも自由に書いても良い部分はPythonを使っていましたね。

そのため、転職する時、どうせなら大好きなPythonを使える仕事をしたいな、と思い、応募した一つにgumiがありました。

gumiの面接へ行くと、社長がとてもユニークな方でその人柄に惹かれました。また、当時のgumiは大きな会社の一室を借りていたのですが、その部屋にいるメンバーがガツガツ仕事している様子を見て「これは大変そうだぞ」と思うと同時に、スタートアップ特有の雰囲気にワクワクせずにはいられませんでした。

実際、入社してみていかがでしたか?

当時のgumiは、ガラケーのゲームを作り始めていた時期でした。予想通りでしたが、本当にたくさん働きましたね(笑)入って1年目のGWは、いきなり徹夜でしたが、とても楽しかったですね。

私自身、残業が多いような環境で働くのは嫌いではないんです。バンド活動をやってた頃はずっと夜遅くまで練習していたので、それが開発に変わっただけという感覚ですね。

gumiで技術開発部部長を務めていらっしゃいますが、どのような役割だったのでしょうか?

組織的にいうと、技術開発部部長が開発者のトップという形ではなく、ゲームごとに事業部があり、そこにディレクターと開発メンバーがいるという形でした。技術部長は全社的な技術の統一基盤を作る仕事をしていました。

gumiではどのようなことを学びましたか?

ある企業との共同プロジェクトである大きな負荷対策をリリースする時、「失敗すると全ユーザーデータが壊れてしまう。」ということがありました。当然、データが壊れてしまうと大変なことになるので、不安でとても慎重になっており、検証項目は達成できてはいるものの、とにかくリリースが怖くて先に進みたくないと感じていました。

するとそのプロジェクトのマネージャーから「もうリリースできるのか?何の不安があるのか?」と聞かれました。私は「具体的な不安要素はないが、データ破壊が起こってしまうかもしれないという未知の予測できないことへの不安がある」という話をしたのですが、すると、そのマネージャーに「具体的な不安要素がないなら悩むだけ時間の無駄だ。リリースしよう」と言われ、色々と怖かったのですが、思い切ってリリースしました。

結果、特に大きな不具合もなく、改修コードは本番稼働しました。取り返しのつかない決断をするのは怖いですが、具体的な不安要素を洗い出して解決し、その後は悩んでも無駄なので早めにリリースするというような判断基準を持てるようになりました。

2013年TORICOへ転職した理由を教えて下さい。

当時、日本ではスマホゲームが流行り始めた時期で、私はいくつかのソーシャルゲーム製品のエンジニアのリーダーを経て、技術基盤の開発を行っていました。

当時は、携帯電話のゲームはガラケーからスマホへの移行期で、新技術を利用した規模の大きな開発にシフトしていました。面白い分野ではあったのですが、それよりも、日本が世界に誇れる文化を扱う仕事がしたい、と感じていました。そんな時、以前の同僚から紹介してもらったのが現職のTORICOです。漫画のセット販売と電子書籍の販売をしているという話と、現状の課題を聞いて、代表と話をしました。

当時のTORICOは開発組織を自社でもっておらず、現在のサイトを改善したくても思い通りにできないという状況でしたので、私の能力を発揮できる環境があると感じました。

よくマンガが好きだったのだと勘違いされるのですが、入社時は、マンガがすごく好きだったかというとそれほどでもなく、流行っている少年マンガの単行本を買うぐらいで、人並みだったと思います。入社後は、他のメンバーに遅れをとらないよう、ほとんどのコミックの最低1巻を読み漁りました。

巨額の資金調達完了後のTORICOが求めるエンジニアとは

現在のTORICOの組織体制を教えて下さい。

現在は、EC部門、イベント部門、アプリ部門の3部門に分かれていて、それぞれ部門ごとにエンジニアがアサインされています。エンジニアは、私を入れて8名体制です。来月管理部門が作られ、そこにエンジニアが1名入る予定です。

0からエンジニアの採用活動を行っていますが、どのように採用していましたか?

最初のタイミングでは、0→1を作ることが好きなクリアイティブなマインドを持っている方を募集していました。

一方、現在は一旦事業を立ち上げは落ち着いてきたので、その新しい事業をしっかり形にしていくフェーズに入りました。それ故、技術重視の人より視野の広い人のほうが合うと思っています。

以前、ある特化した技術に秀でた方を採用したことがあるのですが、結果として弊社では上手く能力を発揮してもらえませんでした。例えば、バックグラウンドのAPI技術はあるけどフロントコンポーネントは一切書きたくない、といった方であったりすると、現状の弊社での活躍範囲が狭まってしましまい、十分な評価ができません。

この苦い経験もあり、今はフェーズにあった人を採用するように心がけています。例えば、ディレクターと直接話をしながら、数字を追いかけながら働いていけるような人を採用したいですね。また、エンジニアもデザインもある程度やっていかなければいけませんので、「苦手です」という分には問題ないですが、「CSSやデザインに興味ありません、やりたくありません」という方は難しいかな、というように判断しています。

CTOとしての役割と今後

四柳さんがCTOになった経緯を教えて下さい。

2016年、丁度、外部から数億円規模の大きな資金調達ができたので、会社組織として組織を拡大していくというタイミングで、CTO就任の打診があったので引き受けることにしました。

CTOになった現在の業務内容を教えて下さい。

今は上場に向けて、社内のシステムの整備と、監査調書の作成や規定の整備が大きな割合を占めてます。ただ、漫画全巻ドットコムなどのシステムは、私がプロダクトコードを書く場面もあります。その他、エンジニア採用も行っています。

昨年度より、エンジニアの新卒応募採用も初めており、昨年度面接した新卒のエンジニアの方々が本年度より参加しています。コロナのためほとんど出社はされてませんが、SlackとGithubを使って、プロダクトコードを十分な品質で書けるようになるようサポートしています。新卒で入られる方は、今年度から参加された方も来年度参加される方もフルスタックエンジニア志望の方々です。弊社の希望とマッチしている方が採用できているので、今後が楽しみですね。

最後に、今後四柳さんがTORICOで成し遂げたい夢を教えて下さい。

会社としては、まず社内システムの環境整備を第一に進めたいと思っています。私たちは上場を目指しているので、投資家に安心した会社として認識されるよう、例えばPマークやISMSなどセキュリティ面の強化に取り組んでいます。また、開発の面では、業務フローやECサイトのコード自体も古くなってきている部分もあるので、適宜見直しています。

それと、テレビで弊社サービスが紹介される際、システムの負荷対策に大きな手間がかかっている現状があります。こちらはコンテナ化やサーバレス化を進めて、低い運用コストでメンテナンスしていけるようにしないといけないですね。

最後に、個人的な夢でもありますが、他社サービスを超える謎解きイベントを世に出すことをしたいです。今年新しく謎解きのイベントをスタートしたのですが、コロナの影響で大規模な謎解きイベントは実施出来ていません。まだコロナの収束は目途が立ちませんが、専任の方と一緒に水面下で準備を進めていき、新しいエンターテイメントを世に輩出していきたいです。

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