プログラミングに苦手意識があった学生が、CTOとしてベトナムの開発組織をマネジメントするまで

岩間 亮|アライドアーキテクツ株式会社 ・Allied Tech Base Co.,Ltd. 、Allied Tech Camp Co.,Ltd. CTO

盛岡情報ビジネス専門学校情報システム科卒業後、地元岩手でハード機器関連の営業職としてキャリアをスタート。その後、派遣会社へ入社し工場勤務を経た後に地元SIerに派遣されたことからエンジニアへキャリアチェンジ。本格的にエンジニアとしてのキャリアを積むため上京し、2009年1月グローバルスペース株式会社へ入社。2009年5月 トライクレオ株式会社を経て、2010年7月アライドアーキテクツ株式会社へ入社。入社後は、新規事業の開発担当としてiOSアプリやWebアプリ開発へ従事。2018年7月Allied Tech Base Co., Ltd. Allied Tech Camp Co., Ltd. CTOへ就任。現在は、ベトナムのエンジニア組織のマネジメント業務に従事する傍ら、日本でもプロダクト横断チームのマネジメントを行っている。

アライドアーキテクツについて

はじめに、御社の事業内容を教えて下さい。

アライドアーキテクツは、ソーシャルテクノロジーによる生活者マーケティングの実現を支援している会社です。2005年の創業時から一貫して生活者を社会の主役と位置づけ、企業とのつながりを生み出す多様なマーケティング支援サービスを開発・提供しています。累計4000社以上への支援を経て得られた豊富な実績・知見を活用し、世界中の生活者と企業のつながりを創出。2012年よりグローバル展開を開始し、現在はアジアや欧米など世界に向けてサービスを提供しています。私は主に、サービスのプロダクト開発を担当していますが、例えばTwitterプロモーション統合管理ツール「echoes(エコーズ)」というサービスや、ダイレクトマーケティング特化型UGC活用ソリューション「Letro(レトロ)」というサービスを展開しています。その他、中国のマーケティング支援やホームページ制作なども行っております。

学生時代はプログラミングで挫折ーー営業職を経て再びエンジニアを目指すまで

エンジニアを目指したきっかけを教えて下さい。

一番最初のきっかけは、ワープロを買ってもらい、それを打つのが楽しかったことです。それからしばらくして、高校生の頃にドリームキャストという家庭用ゲーム機が発売され、オンラインゲームにどっぷりハマってしまったんです。このように、デジタル方面に強い関心を持っていたので、将来はそちらの道に進みたいと思うようになりました。高校卒業後は、家庭の事情もあり遠方の大学や専門学校に入るという選択肢がなかったため、地元岩手でコンピューターを学ぶことができる盛岡情報ビジネス専門学校の情報システム科へ入学しました。

専門学校はあくまで就職するための学校なので、基本情報技術者の資格を取ることが大目的でした。基本情報の試験もCOBOLで受験することがカリキュラムで決まっており、プログラミングに関しては机上での学習が多く、あまり楽しさを見出せませんでした。結局、プログラミング知識が浅い上に努力不足で基本情報技術者の資格も取れなかったので、就職の際は技術職へ挑戦できず、SCSKの子会社でパソコンなどのトラブルに対応するコールセンターのオペレーターとして働く予定で入社をしました。

それからコールセンターでキャリアをスタートしたのですか?

その予定だったのですが、会社がそのコールセンターの案件を獲得出来なかったため、他に獲得できたパソコン販売の営業がキャリアのスタートでした。私は色々な部署を渡り歩いていたので200名以下のスモールビジネス向けの営業もやりましたし、個人向けや環境庁向けなど幅広い営業スタイルを経験しましたね。もともとパソコンは好きだったので、特にトレーニングとか受けずとも、お客様からの要望に対して適切に回答することができたので、やりやすいと言えばやりやすい仕事でした。

その後、どのようにしてエンジニアへキャリアチェンジしたのでしょうか?

営業として務めていた会社を退職し、派遣社員として工場で働いていた時期がありました。その頃サーバーサイドのコードを自分で書き換えて遊ぶことのできるゲームで遊ぶようになり、頭から全部コードを読んでいき、カスタマイズするということをやっていたら、ものすごくハマってしまったんです。コードを読むことは大変だった記憶はありますが、私の作ったものに対してネット上で色々な人からリアクションが貰えることが嬉しくて頑張っていましたね。

これは、もっときちんと勉強して出来るようになったら楽しいのではと思ったことが、プログラミングに目覚めたきっかけです。ただその頃、丁度初音ミクが流行り始めた時期で、一瞬初音ミクの勉強をするか、プログラミングの仕事をするか迷った時期でもありました。ただ音楽センスもなかったので、プログラミングの方を選びました(笑)

当時、私がプログラミングを勉強していることは全く知られていませんでしたが。しばらくして、工場の規模縮小に伴い、派遣の仕事が引き上げになり、あるSIer会社のシステム運用の手伝いとして送られたんですね。そこで、派遣先の部門長に僕がプログラミングを勉強していることがばれまして、「プログラムを書く仕事をやってみなよ」と言っていただき、初めて仕事でプログラミングを書きました。

その会社で1年位プログラミングの仕事をしながら、当時は、岩手から東京まで行き勉強会へ参加するなど、他の会社のエンジニアと多く関わりを持っていました。ある時、Skype内のエンジニアのグループで年収の話になったのですが、私の年収が他の人に比べてかなり低かったんですね。すると、あるメンバーに「お前みたいな奴がエンジニアの価値を下げてるんだ」と言われました。その言葉が腑に落ち、「このままではいけないんだ」と思い、年収をあげる為とエンジニアとしてより良い経験を積むために正社員として働くことを考えはじめました。

それからどのようにして転職したのでしょうか?

「正社員になりたい」と軽い気持ちでTwitterに投稿したことが始まりですね。それをきっかけに、私が東京で開催された勉強会に参加した後、家に泊めてくれたエンジニアの友人宅から配信していたユーストリーム配信を見ていてくれていた方がその投稿を見て声をかけてくれて、2009年1月グローバルスペースへ正社員として入社が決まりました。

エンジニア歴は1年位でしたが、職業としてプログラミングをするだけでなく、ブログでの学習内容の発信やOSSにも多少ながら関わり、サン・マイクロシステムズが提供していたNetBeansの日本語コミュニティにも参加したりと、プログラミング以外のバリューもあったため、イケる思いがありました。今思うと、無知も良いところで恥ずかしい話ですが(笑)

すごい行動派なんですね!

当時は、無知すぎて怖いもの知らずだったように思います。勉強を始めた当時も、買った技術書の著者のTwitterをフォローして「その言語の有名な人を教えてくれ」とか聞いたりしていました。今思うと、失礼極まりないですね(笑)

行動派というより、言い方は悪いのですが、それまで底辺ギリギリというところでずっとやってきていたので、掴めるチャンスは全て掴むという思いでやっていたという方が正しいかもしれません。

東京でエンジニアとして働く切符を掴むも、会社経営が傾き3ヶ月で退社

上京してから、どのようにしてキャリアを積んでいきましたか?

私がグローバルスペースから内定を貰った頃、丁度リーマンショックが起こりました。入社する頃には会社が大分傾いており、やむなく3ヶ月で退職という形になってしまったのです。ただ、せっかく1つの会社に何人ものエンジニアが集まったのに、いきなり皆がばらばらになってしまうのはもったいないよねという話になり、辞めたエンジニアたちとトライクレオという会社を起業をしました。

所謂、受託会社だったのですが、最初の頃は前職から貰った案件を行い、その後は当時のCTOが知り合いから貰ったFXのシステム開発を行っていました。ただ、ここでも、取引先からの振込みが滞るというようなことを経験しましたね。普通に会社に働いていると、自分の給料が払われるか払われないかという状況を経験する人は少ないと思いますので、これらの経験は本当に貴重だったな、と思います。

それからアライドアーキテクツ(現職)へ出会うまでの経緯を教えて下さい。

もともとTwitterで繋がっていた友人に誘われたのがきっかけです。トライクレオの業績が悪くなると、私のTwitterの投稿内容もネガティブになってくるのですが、彼はその変化を察知してその度にご飯に連れていってくれましたね(笑)

ある時、当時のアライドアーキテクツのCTOとその友人とのお食事に誘われ、「今、アライドアーキテクツは、もう少し開発者が欲しいという状況で、あるサービスで一定数固定客がいるから給料も問題なく出せるので来てくれないか」とお誘いいただきました。

私自身のエンジニアキャリアとSNSは切っても切れないものであり、SNSが大好きだったので、SNS領域を扱っている会社へ行くのは良い選択だと思い入社を決めました。

エンジニアスキルはちぐはぐ。入社当初のプログラミングスキルは低かった

入社当初はどのような業務に携わりましたか?

私のエンジニアスキルは、ちぐはぐなんです。IDEやツールはとても好きなのでそれらの知識は豊富で、開発のベース部分を整えるコンサル的能力はあったのですが、一方で、業務上のプログラミング能力が低いという状況でした。当時のアライドアーキテクツは、プログラミング能力が非常に求められていたので、かなりご迷惑をおかけしたと思います(笑)

PHPのプロダクトに半年位携わった後、入社前からチャレンジしたかったスマートフォンのアプリケーション開発へアサインしてもらいました。それまでJavaを勉強していたこともあり、PHPの柔軟な仕様に全く慣れなかったので上手く書けず、PHPのプロダクト開発へ携わっていた頃は、全く能力を発揮できませんでした。一方、 Objective-CでのiPhoneのアプリ開発は、 Javaと関連付けができたので、能力が発揮できたと思います。

アプリ開発はどのように学ばれたのでしょうか?

iOSアプリは完全に独学でした。当時日本でiOSアプリを開発している人は多くなく、本もあまり出版されていなかったので、Appleのドキュメントを元にとりあえず書いて動かしてみるというのが主な学習方法。

前職のCTOに、「君は、何かをやり始めて必要な時に必要なものを学んでいく遅延学習のスタイルだね」と言われたことがあるのですが、まさにその通りでわからないことに一人で突き進んでいくというのは得意だったんです。何か実現しなければいけないことがあった時に、普通は出来ないことにはあまりチャレンジしないと思うのですが、私は出来るようになれば良いかというスタンスでいつも臨んでいたため、アプリ開発の開発しながら学ぶというやり方は苦痛ではありませんでした。

岩間さんが開発したサービスについて詳しく教えて下さい。

最初に自社でリリースしたiOSアプリは「Chot」というロケーションベースのQ&Aサービスでした。もともと「アプリを作ることができるなら、自社でも作ってみよう」というのと、海外で同種のサービスが軌道に乗っていたために、社長・CTO・デザイナーに私という豪勢なチームで開発したのですが、リリース後に幅広いユーザーへ使ってもらうにどうすべきかというマーケティング観点が抜けていたため上手くいきませんでした。

その後は、自社で既に提供されていたWebサービスのiOSアプリをいくつか担当したり、「モニプラFIND!」というO2O施策を推進するためのサービスを開発しました。他にも社内のビジネスコンテストで採択されたプロジェクトのiOSアプリや、採択はされなかったけれど強く共感したサービスのiOSアプリを業務外でつくったりと、入社してからの10年間であわせて16個のWebサービスやiOSアプリの開発を行い、その多くでメインプログラマを務めました。平行して個人でも8個のiOSアプリをリリースしましたね。

その中で最も思い入れがあるのが、Twitterプロモーション統合管理ツールである「echoes」というサービスです。これまでのアライドアーキテクツは、基本的にはビジネスサイドの発案で何かを作るというスタイルが主流だったのですが、これは、エンジニア発案でスタートしたサービスだったのでとても思い入れがあります。

何故エンジニア発案でスタートしたのでしょうか?

当時、私は業務改善のプロジェクトに携わっており、SNS上の情報収集を主に行う社内向けツールの開発と改善を行っていました。そんな折、Twitter社がクリスマスボックスというインスタントウィンキャンペーンを展開していることを知り、低コストで同等のものを開発し提供することで優位性を確保できると思い、当時教育していた新卒社員と私の二人体制で開発をはじめました。

プロトタイプモデルは早期に開発完了していたのですが、Twitterの自動化プログラムに関する規約をクリアできているかの確認に手間取り、なかなか日の目を見ないまま数ヶ月眠らせていました。その後、規約の改定が行われたことで問題ないことに確信を持てたことと、顧客からの需要の高まりを受けて、実際に案件で利用するために必要な機能を追加で開発した上で「echoes」は製品版としてリリースされました。

専門学校時代、自分にはプログラミングが向かないと思っていた岩間さんが、どうして技術力を身に着けテックリード・CTOまで登り詰めることができたのでしょうか?

いいお手本が身近にいたからだ思います。私をこの会社に誘ってくれた人もそうですし、Twitterでプログラミングを教えてくれていた人もそうですが、皆、本当に優秀な人達だったんですね。その方達と会話をしていて、その人達と同じ土俵に立ちたいという気持ちが強くなっていったんです。

本人たちには「このまま普通にやっていても俺達に追い付くことはないけど、勉強しなければ置いて行かれるだけだ」とも言われていたので(笑)厳しい言い方ですが、それは裏を返すと、彼らも“努力を続けることを辞めない”というスタンスだということです。なので、私が同じように努力したところでその差が埋まる訳ではないけど、その人達の年齢になった時同じ景色を見てみたいという思いで必死に勉強していました。

ベトナム子会社のCTOへ就任。国民性の違いから生まれる課題に向き合う日々

2018年よりベトナム子会社のCTOへ就任されていますが、その背景を教えて下さい。

弊社は、子会社を設立する以前からベトナム人の新卒採用を行っていました。彼らが日本でスキルを身に付けてベトナムに帰るタイミングで、2016年3月にベトナム子会社を立ち上げました。それから2年後の年末、エンジニア組織の管掌役員に急に呼ばれ「ベトナム子会社のCTOになってくれ」と依頼されました。

ただそれを引き受けると、月の半分位はベトナムで過ごすことになります。食べ物の好き嫌いが激しい私はベトナム料理も苦手ですし、当時ペットも飼っていましたので、躊躇しましたね(笑)けれど、僕はアライドアーキテクツがとても好きで、「今後この会社が成長していくために、これは必要なことなんだ」と思えたので引き受けることにしました。

ベトナム人のマネジメントで大変だったことはありますか?

ベトナム人は確かに優秀で、驚くほど綺麗なSQLを書いたりする一方で、コードの設計に関しては苦手なメンバーが多くその点を指摘することが多いです。

また何といっても、そもそもの国民性の違いや言語の壁は大きかったですね。「分かりました」と返事をしていても、実は分かってないということもよくありましたので、とても苦労したことは覚えています。

ベトナム人は、自分から学びにいくというより誰かに教えてもらいそれを吸収して生かすという国民性なので、基本受け身なんです。そのため「この会社で働く以上、それだけでは駄目なんだ。自分たちが日本側とOne Teamでやっているという自覚を持とう」ということを何度も説明し、君達にチャレンジして欲しいと伝えていきました。

すると、最近では渡した仕様書や設計書で分からないところがあったら、彼らの方から「ここはどうなってるんですか?」と聞きに来るようになったりと、マインド面がかなり成長しているという感覚はあります。

ベトナム人の採用で気を付けていることはありますか?

ITエンジニアは、ベトナムではかなり高収入な職業です。ベトナムの平均月収は約3万円、すごくできるエンジニアでも月収十数万円と日本に比べると安価です。一方で、ベトナムは急成長中の国でもあるので、一つの会社に長く勤めるよりも転職した方が昇給ペースが早くなるため、日本より転職頻度が高くなる傾向があります。

そんな中で、弊社は離職率を下げるため、ベトナムに多い受託会社ではなく自社プロダクトを開発している点を強みに採用を行い、日本とベトナムが同じ目標に向かってOne Teamで一緒にプロダクトを作っているんだというメッセージを強く送ることで帰属意識を高めています。事実、現地のベトナム社員から、「この会社は家族みたいな会社だから長く働きたい」という話をよく聞きます。辞めていったメンバーも、やむを得ない事情や自分の将来やりたいことがどうしてもこの会社だと実現できないという理由がほとんどで、給料が他社の方が良いから辞めますというメンバーはほとんどいません。

人事評価に関しても重要視しており、最初から私や社長が評価するのではなく、一旦ベトナムメンバーの中でお互いを評価をするということをしてもらい、それを受けて評価をするようにしています。また、給料の額もできるだけ市場と乖離しないように現地のエージェントと連携しながらベースを合わせるようにしています。

CTOの現在と今後

現在、どのような仕事をしていますか?

僕は、ベトナムではCTOとして主に技術の底上げを目的とした業務を行い、日本でもマネジメントしているチームがあるので、そちらのマネージメントを行ったり、「echoes」の技術的問題点解決へのサポートや、採用に関わる業務を行っています。最近は日本にフロントエンドエンジニアが増えてきたので、フロントエンジニアの組織化に取り組み始めました。プログラムの開発業務を行っているのは、ほとんどベトナム側なのでCTOらしい技術に対する取り組みは主にベトナムで対応しています。

今は新型コロナウィルスの影響で、感染拡大防止のために急遽ベトナムでもリモートワークを行いましたが、私がベトナムへ行けない間もきちんと開発業務を回してくれています。

最後に、岩間さんが今後会社で成し遂げたいことや夢を教えて下さい。

会社的な面でお話をすると、ベトナムの給料は年々上がっているので、数年後、ベトナムで開発することのコスト的なメリットは薄くなっていくように思います。そうなった時に、ベトナム拠点で開発をするメリットを上手く示せるようにしなければと思っています。

また、個人的な話でいうと、ある意味エンジニアのキャリアにとってCTOってゴールの1つだと思っています。昔からの友人が今の僕の立場の話をしたらきっと笑うだろうなと思いますけどね(笑)

そのうえで次のステップとして、日本側でCTOをやることへも興味を持っています。もっと全体を見渡して、ベトナムと日本で相乗効果を出していけたらと思っています。まぁ、弊社で今CTOが日本側で求められているか、そこに自分がフィットしているかはまだ分からないので別の形になるかもしれませんが、近い将来挑戦してみたいですね。

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