保育DXプラットフォームを目指して――VPoEに聞く、1年間で開発組織の文化を180度変えた理由とその方法

橋本 将吾|千株式会社 執行役員 VPoE

SIerで勤務した後、2009年、楽天株式会社へ入社。Webエンジニアとして楽天市場の様々な企画や大規模プロジェクトへ従事。同社にてMVP受賞。2012年、株式会社Speeeへ入社。開発責任者として、サービスの開発とマネージメントを両立させ、キュレーションメディアを立ち上げから2年半で2000万MAUまで成長させる。その後、auコマース&ライフ株式会社の副部長を経て、2020年、千株式会社へ入社。現在は、VPoEとして開発組織全体を整える傍ら、新規プロダクト開発の責任者も務める。

千株式会社について

はじめに、御社の事業内容を教えて下さい。

弊社は、創業期から「はいチーズ!」というサービスを提供しています。幼稚園や保育園などの教育機関を中心にさまざまなイベントの撮影、インターネット上で写真販売を行うサービスで、現在、全国8,000以上の団体様にご導入いただいております。

直近は、フォト事業だけではなく、保育ICTシステム「Hoisys」や、幼稚園・保育園に特化した動画配信支援サービス「園チャンネル」を提供。保育DXを推進するため、幅広くサービスを展開しています。

“人のために作ること”の喜びを知った幼少期。パソコンとの出会いで、ITエンジニアの道へ突き進んだ

ここからは、橋本さんご自身について伺います。最初にモノづくりやインターネットへ興味を持ったきっかけを教えて下さい。

私の実家は、兼業農家でしたので、小さい頃から、お米作りや農業の手伝いをする機会が多くありました。子どもながらに、自分のためだけでなく、食べる人の気持ちを想像して農作物を育てたり、農業機械を修理したり、手を動かすことがとても楽しかったんです。

パソコンとの出会いは、小学校高学年の時。まだ一部のマニアしかパソコンを持っていないという時代でしたが、当時の担任の先生はパソコンヲタクだったのか、教室にパソコンを置いてくれました。キーボードに文字を打つと画面上に出てきたり、1つのボタンを押すと印刷できたりするのを目の当たりにし、大きな衝撃を受けたことを覚えています。

中学校にあがると、インターネットの環境が整備されてきたという時代背景もあり、自宅にインターネットを導入し、インターネットの魅力にどっぷりハマってしまいしたね(笑)

それからエンジニアを職業にするまでの経緯を教えていただけますか?

すでに高校生の頃には、ITエンジニアになりたいと思っていましたね。コンピューター以外の勉強をしたくなかったので、地元から近い福岡の情報専門学校へ進学しました。就職先は、漠然と「ITの仕事=東京」と思っていたため、「東京でプロダクト作りを経験できる会社」を軸に就職活動を行い、SIerへ入社しました。

SIerを経て、楽天へ。リーダーとして、楽天市場の全体設計や大規模開発を索引

SIerで3年ほど勤めた後、楽天へ転職されていますが、その経緯を教えて下さい。

SESとして官公庁向けの大規模システムに携わる中で、「誰のために作っているか」が分からなくなっていきました。今、目の前で作っているシステムが誰のためなのか、作った人の顔も見えないですし、フィードバックももらえないという環境に3年間身を置く中で、次第に、誰のために作っているのか、よく見える仕事に就きたいと思うようになりました。

それならば、日本有数のサービス会社に行くべきだと腹を決め、何社か内定を頂いたうちの楽天へ転職することにしました。

楽天の業務で経験したことを教えて下さい。

楽天は、メンバークラスで入社しました。面接の段階から「楽天市場をやらせて下さい」と言っていたこともあり、楽天市場へ配属されました(笑)色々なことへチャレンジするうちに、徐々に権限や役割をいただけるようになって、色々なプロジェクトにアサインされるようになりました。その中で、開発として指揮をとることやメンバーを抱えて仕事をすることが増え、最終的には、リーダーポジションまで経験しました。

楽天の業務を通じて何を学びましたか?

楽天市場の店舗向けtoBシステム「RMS」の開発では、私が当時所属していたチームが商品登録や店舗の見た目のページの情報登録といった、いわゆる一番上流に当たるシステムの開発に携わっていました。そのため、楽天市場で新しい何か大きなプロジェクトを実施する時は、全て関わることができましたので、全体を俯瞰し、色々なチームを巻き込みながら全体設計するという仕事を経験できたことはとても勉強になりました。

また、2010~2011年当時、「共同購入」という仕組みがありまして、そのリニューアルを、私が開発の先頭を切って対応していました。ここでは、隣で市谷さん(仮説検証やアジャイル運営に明るい方)のプロジェクトマネジメントを横目にして、開発できたことが大きな財産になっていますね。

2012年、Speeeへ転職した理由を教えて下さい。

東日本大震災が起きた後、ふと、自分の力で生活インフラになるサービスを作ってみたい、と思うようになりました。楽天でもゼロイチのプロダクトの企画に携わったことはありましたが、楽天の力を借りずに、自分の力でどこまでできるのか、挑戦してみたかったんです。

転職活動をする中で、Speeeと出会いました。当時のSpeeeは、WEBマーケのコンサルティングの事業のみに従事していましたが、今後、第2の主軸としてWEBサービスを自分たちで作っていきたいという思いを持っていました。ゼロイチに携わりたい私と、ゼロからWEBサービスを作りたいSpeeeで、歯車が噛み合い入社を決めました。

テクノロジーを駆使し課題を解決!技術の重要性が社内に浸透し、技術ドリブンを目指す会社へと変化

Speee入社当初の体制を教えて下さい。

マネージャーとして、私ともう1名が入社。私が、主にプロダクト開発を担当し、もう1名のマネージャーが社内制度など組織の整備を担当していました。

入社初日、同社が運営している不動産情報ポータルサイトで、検索結果が出るまでに長い時間がかかっているという課題を抱えていることを知りました。そこで、エンジニアである私は、そのプロダクトの構成を1から整理して、1~2日で改善して見せたんです。

このエピソードは、当時の経営層に大きな衝撃を与えたようで、それから会社全体として、技術やエンジニアの見方が変わり、技術ドリブンな会社を目指すようになりました。

技術重視の方向性に進んだとき、他部署からは不満は出ませんでしたか?

Speeeは、チームワークがよく、皆で一緒にプロダクトを作っているとうカルチャーが強く、軋轢が少なかったです。そのため、営業も、技術へ理解を示したり、好奇心を持ってくれる方が多かったので恵まれた環境でした。

しかし、往々にして、エンジニアと非エンジニア職との間で、価値観の軸のバランスを取ることは大事だと思っています。そのバランスが崩れてしまうと、どちらかが、不満に思いますし、事業もグロースしていきません。

Speeeの業務を通じて何を学びましたか?

当時流行っていたキュレーションメディアを立ち上げ、2000万人ものユーザーが使うようなサービスへ一気に成長させることができました。その中で、社会情勢によりサービスを閉じる決断とともに、組織を再編する難しさなど、当時の私にはとてもつらい経験でしたが、経営視点を学ぶ機会になりました。

インフラになりうる会社を求めて転職活動を開始。千との出会い

その後、どのようにしてキャリアを歩んでいきましたか?

Speeeでは、やり切ったという気持ちが芽生えたので、次のキャリアを模索し始めました。ありがたいことに、楽天市場の担当をしていたこともあり、EC業界からは沢山オファーを頂きました。そこで、次にやりたい事が見つかるまで、ECの仕事に従事しようと思い、auコマース&ライフ株式会社へ転職しました。

auコマース&ライフでは、レガシーな領域のシステムを新しいシステムに切り替えていくというのが急ピッチで行われていましたので、そこにジョインし、開発部長として指揮をとりました。データの持たせ方やサーバーの活用など楽天にいた時の経験を生かし、1年半で出来る限りの改善しました。結果として、私が抜ける頃には、キャパシティが3~5倍程の改善が見込めましたね。

千株式会社へ入社を決めた理由を教えて下さい。

並行して色々な求人を見ていましたが、なかなか生活インフラになり得るようなサービスと出会えませんでした。そんな中、千株式会社(以下、千)からもオファーを頂きましたが、保育のサービスには疎く、最初はいまいちピンときませんでした。

取り敢えず話を聞いてみようと思い、2020年の1月、千の取締役の田中とお会いしました。その時、プロダクト開発が上手く回っていないことや、理想の品質に達していないこと、エンジニア組織の強化など色々とお話をいただきました。

それから、私からも「現在、どんな体制で運営し、経営として何をしたいのか」と質問しました。現状と何かギャップがあるから、上手く回っていないと感じているため、そのギャップが何なのかを知りたかったんです。

経営層からの課題を伺ったため、確認のために実際に現場で働いているエンジニアにも話も聞く必要があると思いました。そこで数名のリーダーからメンバー層まで幅広く意見を聞く場を設けていただきました。経営層と現場のエンジニアの話を聞いて、私は開発組織の問題は単純でプロダクト開発力とマネージメント力の低さだと確信できました。

今後、保育全体をカバーするDX事業として成長を目指す方向性の会社に、もし上場ベンチャークラスの開発力ををつけることができれば、業界を変えることも、子育て環境に対して大きな価値を提供できるのでないかと想像することができました。

その瞬間、私自身の実現したいこと、できることがマッチし、入社を決めました。

15年続くプロダクトの弊害。受け身の開発文化を180度是正

入社初期の千の開発組織の文化はどのようなものでしたか?

まず、「はいチーズ!」を15年運営してきたことが、開発の文化の前提にありました。

一言で表すと、プロダクトが強力すぎるということです。つまり、自分の子どもの写真が、「はいチーズ!」というプロダクトでしか買えないため、たとえ、それが使い勝手が悪かろうが、開発が遅れていようが、色々な課題があろうが、自分の子どもの写真が掲載されたら保護者は買ってしまうんです。

このような環境下では、新しい企画も、競合優位性も生まれません。それゆえに、開発者ドリブンでプロダクトの改善が行われないという文化が醸成され、社内受託のような受け身の開発組織になっていました。

そのためには、開発文化を180度変える必要があると思うようになりました。

どのようにして、エンジニア組織を変えていきましたか?

入社する前から、経営層に「こういう方向性で180度文化を変えようと思います。その代わりに痛みも伴うがよいか」と正直に伝えました。なぜならば文化を変えるということは今までの環境で居心地がよかった人にとって、すべて良い方向とは限らないからです。その点で組織の文化を変えることは痛みを伴く可能性が高い。そのため方針と覚悟を経営層と深くすり合わせる必要がありました。私がVPoEとして入社しメンバーの離職リスクを背負ってでも開発者ドリブンでプロダクト開発を進められる会社にしたいことが、私のコミットメントするうえで経営層との大事な握りでした。

入社後に変えたことは、大きく2つあります。

1つ目は、評価制度です。例えば、営業組織が強い会社ですと、エンジニア向けの評価制度がない場合も多く、千もそうでした。

まず、どういったエンジニアが評価されるべきか、目指すべきエンジニアの振る舞いを考え、会社の評価制度という仕組みの中でも評価されるように変更しました。入社して3ケ月くらいで評価制度を作成し、期が変わる20年9月から導入しました。

2つ目は、評価制度に合わせて、どんなプロダクトが評価に値するのか、今後のプロダクトの方針、開発方針、評価される人について発表を行いました。加えて、週に1回、僕が全チームに対して、プロダクト開発の方針についてレクチャーする時間を設けました。

運用されてから8か月ほど経ちますが、成果は見えてきましたか?

早いチームだと、2~3ヶ月である程度成果が見えてきましたが、遅いチームだと半年くらいはかかりました。現段階で、ある程度文化は醸成できてきたと思いますが、満足度としては、まだ30%くらいですね(笑)

文化醸成の際に、難しかったことはありましたか?

今までと180度違うことを伝えているため、嫌というよりも、理解できないという状態に陥ってしまうことに、大きな壁があると思いました。

例えば、今までの仕事は、「この登録ボタンを作ってね」という依頼に対して、そのまま登録ボタンを作れば、それで良かったわけです。しかし、「あなたはどんな登録ボタンを作るべきだと思いますか?」と問われたら、途端に困ってしまうんです。「どんな登録ボタンを作ったら良いのかも、僕が考えなければいけないんですね」というように理解することから始まり、モノづくりの考え方やユーザーを知ることなど、理解してもらうまでとても時間をかけました。

現状は、コロナの影響もあり、残念ながら、実際に保育園に出向きユーザーを知るという機会は、あまり設けられませんでした。けれども、今後は、リリースされる前に、園の先生や保護者が自分が作ったモノ(又は、作ろうとしているモノ)に触れてもらう場面に、エンジニア自身が立ち会うような文化にしていきたいと思っています。

コロナ禍で、新規プロダクトの開発が急務に。2週間で新規プロダクトをリリース

組織作りの傍ら、新規プロダクト(園チャンネル)の開発の責任者も務められていますが、どのような経緯でスタートしましたか?

私が千へ入社した当時は、コロナ真っ只中。入社前は、組織変更やプロダクト作りの文化醸成に時間が取れるだろうな、と思っていましたが、そんな悠長な事も言っていられない状況になりました。

2020年4月は、コロナの影響で園ではイベントもできず、保護者の方も園に出向けないという環境の中で、沢山の園から「はいチーズ!」の会社として何かできないか、と相談を受けました。

コロナの影響に対して、何とかエンジニアドリブンで新規プロダクトを回していかなければいけない状況になり、いつか提供したいと考えていた動画配信サービスに着手しました。

4月の中頃、経営層と話し合い、5月中のリリースを目指し、急ピッチで開発を進めました。といっても、私はまだ入社していない状況です。何の信用もない中で、営業もエンジニアも協力してくれるだろうかという不安はありました。

けれども、実際には、開発チームを編成するときに全員が中途採用組で、他の会社で経験を積まれていたこともあり、何か新しいことを始めるにしても柔軟性が高く取り組んでくださり、2週間でリリースまで漕ぎつけました。それと同時に目指すべきプロダクト開発力まで成長できるポテンシャルはあると確信できるイベントになりました(笑)

保育プラットフォームを目指す千。VPoEとして橋本さんが担うべき役割とは?

橋本さんの現在の役割と今後について教えて下さい。

この半年だけでも大分変わっています。

最初はプロダクトのプの字からのスタート。いわゆる、どうやって開発していくのかを0から教えてきましたが、今では、エンジニアから提案してくれるようになり、壁打ちができるようになりました。また、マネージャー主導で、進めていく体制にもなりつつあります。

そのため、現段階では、チームビルディング3割、採用3割、プロダクト開発3割と全て均等で、残り1割が個人ワークという形ですが、今後は、徐々にチームビルディング1割、採用4割、開発2割などの比率にして、プロダクトの戦略や事業戦略など経営的な視点で物事を考える時間を増やしていきたいです。

その他、現在取り組んでいることがあれば教えて下さい。

マネージャー陣と経営層と壁打ちをしながら、全社としてプロダクトのミッション・ビジョンを作ることに取り掛かっています。

今まで、誰のため、何のため、プロダクトが将来どうなるかビジョンとミッションが薄かったのです。例えば、「はいチーズ!」のような成熟したサービスは、誰のためにが明確化されていないと、どんどん目の前の意見を取り入れていき、いつの間にか軸がずれていってしまう可能性があります。その時々で、適切な選択ができるようにするため、3~5年後どういった形を目指していいくのか、共通言語として持てるようにしたいです。

最後に、これからVPoEとして橋本さんが成し遂げたい夢を教えて下さい。

千が取り組んでいる保育DXは、園の先生と子供を預ける保護者しか気づけない表面化しずらい課題ですが、社会貢献度の高いサービスです。そこに共感してくれるエンジニアと一緒に働いていきたいです。そのために一人のエンジニアとして、もっと色々な人にサービスを触れて頂く機会を増やしていかなければと思っています。

またプロダクト面では、千が抱えている複数のサービスを1つのプラットフォームへ集約することを実現したいです。そのために短期的には、ユーザー側にどう1つのプラットフォームに見せるかなど見え方を変えていくことへ取り組んでいきたいです。

そして近い将来、園の先生達や預ける保護者から「千のプラットフォームが導入されていることが、子供の成長においてよかったね」と、言ってもらえるような、子育て環境の改善に貢献できる会社でありたいです。

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